パゾリーニ・スキャンダル

1999/12/06 シネカノン試写室
'75年に凄惨な死を遂げた映画監督パゾリーニを描くドキュドラマ。
芸術家は異常であるがゆえに孤独なのかも。by K. Hattori


 『奇跡の丘』『アポロンの地獄』『ソドムの市』などで、映画の世界にセンセーションを巻き起こしたピエロ・パオロ・パゾリーニの晩年をモデルにしたドラマ。パゾリーニは遺作となった『ソドムの市』を撮り終えた直後、街で拾った少年に殴り殺されるという悲惨な最期を遂げる。この映画はそんなパゾリーニの死に至る日々を、役者を使って再現したドキュドラマだ。どこまでが事実で、どこまでが創作かはまったくわからない。映画の中でパゾリーニは「マエストロ」「詩人」「ホモの映画監督」などと呼ばれ、彼の撮った映画のタイトルもいくつか台詞の中に登場する。だが映画の最後まで、ついに“パゾリーニ”という固有名詞は登場しない。この映画を作ったのは『シチリアの娼婦たち』『肉屋』のアウレリオ・グリマルディ。これはあくまでも、グリマルディが解釈して描くところの“パゾリーニ”であって、現実のパゾリーニとは一線を引いているのかもしれない。

 1時間20分の映画で、全体は3部構成。最初のパートは、シチリアの街角でサッカーに興じる少年たちを見つけたパゾリーニが、彼らにホモセクシャルな行為をする話。海岸でたき火を囲んだハイティーンの少年たちが、ひとり、またひとりとパゾリーニの車に近づき、彼に体を触れられては去って行く。そこには当然のように金銭の授受があったのだろうが、そのあたりは映画でボカされている。このパートでは、パゾリーニの少年に対する妄執と、街角で見ず知らずの少年に声をかけるという、危険と隣り合わせの大胆さが描写されている。次のパートは、パゾリーニのもとに小説を売り込みに来た青年を、彼が口汚く罵りながら犯してしまう話。ここでは同時に、パゾリーニと最愛の母親の関係も描かれている。映画全体の時間配分でもドラマのボリューム感でも、この真ん中のパートがこの映画の中心になっている。そして最後のパートが、パゾリーニ殺人事件の顛末記だ。

 映画監督を主人公にした映画なのに、物語の中には映画撮影の裏話などがまったく登場しない。「私が『アラビアンナイト』の監督だよ。君も映画に出してあげよう」という台詞が、会話の中に出てくるぐらい。この映画は、脚本家・小説家・詩人・映画監督といった「表の顔」の背後にある、パゾリーニの裏の顔を徹底して描いた映画だ。この映画を楽しむには、ある程度パゾリーニの「表の顔」を知っておく必要がある。この映画が、銀座シネパトスで行われる「パゾリーニ映画祭」の最後に上映されるのは、ごく当然の成り行きだと思う。

 実在のパゾリーニがどうだったのかは知らないが、この映画のパゾリーニは死ぬべくして死んだという気がする。街の中で貧しく美しい少年に声をかけ、相手の性的な嗜好がどうあれ金と地位にものを言わせて自由にしてしようとするのだから、どこかで相手から逆襲されても仕方がない。パゾリーニは金で買う相手の人格など認めていない。彼は金でスリルを買っていたようにも思える。命がけのスリルに酔って、最後は命を落としたのだ。

(原題:NEROLIO)


ホームページ
ホームページへ