ブロンド・ヴィナス

1999/11/25 映画美学校試写室
歌手に扮したディートリッヒの白タキシードは格好よすぎ!
スタンバーグが1932年に作ったメロドラマ。by K. Hattori


 1932年に製作された、マレーネ・ディートリッヒとジョセフ・フォン・スタンバーグのコンビ5作目。ディートリッヒがナイトクラブの歌手に扮し、自慢の脚線美や歌声を披露している。映画はよくできたメロドラマで、僕は何度か泣いてしまった。物語はドイツ郊外の森の中で始まる。アメリカからきた青年ハイカーたちが、川で水浴をしている若い女性たちを見つける。彼女たちは劇場に出ている歌手だった。それから数年後、歌手のひとりヘレナは、アメリカ人青年ネッドの妻になり、息子ジョニーも生まれている。ところが夫は病気で生命の危機。治療には1500ドルとドイツでの療養が必要だ。ヘレナは夫の命を救うため、再びナイトクラブへ。そこで富豪のニックに目をかけられ、渡航費と治療費を借りてネッドをドイツに送り出す。夫の留守中、ヘレナはニックの世話になって一緒に生活している。ところが治療が終わって帰国した夫にこれがばれ、「子供を置いて出て行け」と言われてしまう。ヘレナは息子ジョニーをつれてネッドのもとを逃げ出すのだが……。

 ナイトクラブに戻ったヘレナが富豪のニックに簡単になびいてしまう理由が、どうにも釈然としません。夫に浮気が発覚して家を飛び出したヘレナが、どうやって生活していたのかわかりにくい。これは劇中でセックスの存在をボカしているから、話そのものがわかりにくくなっているのでしょう。例えば、ヘレナは300ドルを手に入れるために、ニックと寝たのか寝なかったのか? そんな簡単なことすらこの映画ではボカしてしまう。こうした映画ではわかる人にはわかるサインで男女の関係をほのめかすのが常ですが、この映画ではほのめかし方がさりげなさ過ぎて、観客であるこちらは関係に確証が持てないのです。例えばヘレナがレストランで無銭飲食をする場面では、レストランの主人がヘレナを下心たっぷりの目つきでながめながら葉巻に手を伸ばします。これでセックスが連想できるでしょうか?

 そんな不満がありながらも、この映画は素敵です。オープニングのドイツの森から、ニューヨークの安アパートに移動する省略法と、ヘレナとネッドのなれそめを子供に語る場面までの手際の良さ。子供と別れるヘレナがうつむいたまま汽車を見送る場面や、安宿の老女に1500ドルをたたきつけて「これが私のライフワークよ」という場面の切なさ。ラストシーンの子供を使った和解シーンが泣かせます。でもこの映画で一番の見どころは、3回あるディートリッヒのショー場面。ニックと知り合うニューヨークの小さなナイトクラブ、ネッドから逃げた地方のナイトクラブ、そしてパリの超一流ナイトクラブなど、セットと衣装の違いをしっかり見せてくれます。この映画のよさは、こうした細部のリアリズムでしょう。(MGMミュージカルならもっと荒唐無稽なセットを組むところです。)こうしたリアリズムが、この映画の感動を生むのです。子供部屋の落書きひとつで、彼らの生活がグッと身近に感じられます。

(原題:Blond Venus)


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