週刊バビロン

1999/11/17 東映第1試写室
山城新伍監督が描く芸能スキャンダル雑誌の舞台裏。
意外なことに、これがすごく面白いのだ。by K. Hattori


 本来は俳優ながら今ではすっかりテレビタレントと化している山城新伍は、映画監督としても何本かの作品を撮っている。監督デビューは1980年の『ミスターどん兵衛』で、監督作はOV含めて今までに7本ほど。世間的にはあまり認知されていないが、監督としてのキャリアはなかなかのものなのだ。新作の『週刊バビロン』は芸能スキャンダル誌の編集部を舞台にしたドラマで、芸能記者たちの時にアコギで、時には体当たりの取材ぶりを実録風に描く部分と、編集部や出版社内外のさまざまな人間的葛藤、権力との確執などががっちりとかみ合った、骨太なストーリー展開になっている。主演は三宅裕司。共演にダンカン、石橋蓮司、杉田かおるなど芸達者なくせ者たちをそろえ、一筋縄ではいかない芸能マスコミの世界を活写している。芸能スキャンダルは端的に言えば「のぞき見趣味」だ。芸能マスコミと芸能人の関係は、「のぞく側」と「のぞかれる側」の関係に他ならない。この映画では普段「のぞく側」の芸能マスコミを丸裸にして、素顔をのぞき見る面白さがある。

 ここ数年、マスコミや広告・パブリシティの内幕を描いた映画が何本も作られている。例えばホワイトハウスの広報を描いた『ウワサの真相』、テレビ局がニュースを脚色して世論操作する様子を描いた『マッド・シティ』、特ダネ・カメラマンの生活を描いた『パパラッチ』、脚色されたニュース報道や報道被害をテーマにした『破線のマリス』も間もなく公開される。昔から新聞記者やニュースキャスターを主人公にした映画はたくさんあったが、そのほとんどは主人公を「社会正義」の側に置き、巨大な権力と戦う主人公たちを現代の英雄として描いていた。ウォーターゲート事件をモデルにした『大統領の陰謀』などはその代表例。スーパーマンことクラーク・ケントが新聞社で働いているのは、新聞社が正義だと世間一般が考えているからに他ならない。しかし最近の映画ではそうしたマスコミの立場を相対化し、「マスコミは必ずしも正義ではない」「マスコミも商業主義である」という映画が増えてきたように思う。

 この『週刊バビロン』も、基本的にはそうしたスタンスに立っている。しかし勘違いしてはならないのは、これが単純な「マスコミ批判」や「メディア批判」ではないということだ。「マスコミ批判」というのは、「マスコミは正義であるべきだ」という前提に立ってマスコミのあり方を批判している。『週刊バビロン』で問題にされるのは、マスコミの「正義」ではない。ここではマスコミで働いている者たちの「矜持」が問われているのだ。誇りやプライド、記者としての“意気地”の問題だ。

 編集長や社長や政治家たちの思惑に翻弄され続けたひとりの記者が、自分の身を守りつつも圧力に反抗してみせる姿が痛快。ダンカンの情けない表情がじつにヨイ。オープニングやエンディングの処理がちょっと紋切り型だけど、この映画の力強さの前では小さな傷でしかない。最初から最後まで、じつに楽しい映画でした。


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