サティヤ

1999/11/02 ル・シネマ2
(第12回東京国際映画祭)
ムンバイ(ボンベイ)の暗黒街で出世して行く若者の末路。
緊迫した場面と弛緩した場面の差が激しすぎる。by K. Hattori


 大都会ムンバイに流れ着いた若者が、ギャングのボスに見込まれて暗黒街で出世して行く物語。ギャング組織内でのサクセス・ストーリーのようでいて、最後は主人公がむごたらしく死んで「暴力否定」のメッセージを高く掲げるという、まるで黒澤の『酔いどれ天使』のような展開。傷ついた主人公がヨレヨレになって、恋人の住むアパートの階段を這い上がって行く場面なんて、まるっきり『酔いどれ天使』だなぁ。最後は陽のあたる屋上に飛び出して息絶えるのだとばかり思っていたら、そうはならないところが「暴力否定」なんでしょうか……。ギャングは格好良く死んではいけないのですね。最後に字幕で監督のコメントが出るあたりなど、いかにも言い訳がましくて笑っちゃいましたけどね。テーマを暴力否定にして、最後に主人公の死をぶざまにしたいがために、ラストシーンだけそれまでとは演出のタッチが変わってしまったのは残念です。恐怖に怯えるヒロインの表情なんて、ここだけ妙に生々しいのです。

 昨年インド全土で公開されて大ヒットしたと、インド版『ゴッド・ファーザー』なんだそうな。『ゴッド・ファーザー』ほどの品も格調もなく、むしろ香港ノワールみたいな映画だと思います。内容はすごくシリアス。それでもミュージカル場面があるのがインド映画。はっきり言って、この映画のミュージカル場面は映画全体のトーンにそぐわない。ばっさりカットして、その分、映画全体の尺を短くした方が観客にとってはありがたいと思う。インドでは映画公開に先駆けてサントラを発売し、それがヒットチャートに入って映画の前宣伝にしますから、劇中でミュージカル場面が必要なのはわかる。でもこの映画の場合、ミュージカル場面の規模も小さいし、色気もないし(酒場で男たちが酔っぱらって歌うとか)、物語とうまくつながらない取って付けたような場面も多いので、すっかりカットすることは可能なはずです。海外版を用意して、そこではミュージカルを切ってくれ。1曲10分ぐらいあるナンバーが3〜4曲はありましたから、これをカットするだけで30分は短くできる。

 細かいカット割りでアクションを組み立てていく場面などには、なかなか見応えがある。もとネタは『ゴッド・ファーザー』だったり『アンタッチャブル』だったりするわけですが、ちゃんとハリウッドの映画を勉強して、それをインド映画という枠の中にこなしている。こうした点で、インド映画は何事にも貪欲です。風土や文化の違う外国の映画を次々に取り入れてかみ砕き、それを消化してしまう強靱な胃袋を持っている。

 この映画で一番面白かったのは、主人公たちが映画館で映画を観る場面でした。インドで映画がどのように観られているかというのが、じつによくわかる。長い映画をたっぷり時間をかけて観るためには、1本の映画でギャングの殺し合いからミュージカルまで必要なのでしょう。映画の中には戦争ミュージカル映画が登場してました。インドって本当に何でもアリだなぁ……。

(原題:Satya)


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