月の虹

1999/10/21 日本ヘラルド映画試写室
牧師を殺して彼になりすました男が良心の呵責に苦しんで……。
どうでもいいけどこの邦題はどんな意味? by K. Hattori


 荒野の向こうから、ひとりの男が現れる。飲まず食わずで乾燥した大地を走り続けている男は、何かから逃げているらしく、車が近づいてきても助けを求めることはなく、かえって身を隠して車をやり過ごす。男は何者か。どこから来て、どこへ行こうとしているのか。彼は何をして、何から逃れようとしているのか……。

 最初から強いサスペンスを感じさせるドラマです。男は荒野で一夜を明かした後、空腹と乾きに堪えかねて1台の車に助けを求める。男を助けたのは、新しい赴任地に向かう途中の牧師だった。行くあてのない男は牧師の車に同乗するのだが、まもなく牧師を殴り殺して死体を隠し、彼になりすまして黒人地区の教会に逃げ込む。ところがその夜の内に車から荷物が盗まれ、こそ泥たちは男が本物の牧師ではないことを早々に知ってしまった。

 南アフリカの作家デイモン・ガルガットの小説を、ベルギーの女流映画監督マリオン・ハンセルが映画化。ベルギー映画ですが、物語の舞台は南アフリカ。登場人物は主として英語で会話をしている。音楽は加古隆。原題の『THE QUARRY』というのは石切場のことで、そこは主人公の男が牧師を殺して死体を隠した場所であり、男の荷物を盗んだこそ泥たちが大麻を栽培している場所だ。物語のキーになる場所として、何度か登場する。

 宗教に縁のない男が成り行きで牧師になり、教会で説教をしたり、病人を看取ったりしている内に、少しずつ罪の意識にさいなまれるようになる。この意識変化は聖書の力というより、もともとこの男が心の中に持っていた良心の呵責だと思う。最初は何かから逃げることで精一杯だった男、生き延びることのみに専念していた男、一杯の水と一切れのパンに目の色を変えていた男が、小さな村の中で小さな安全を手に入れ、逃げることもなく、命の危険も感じず、飢えることもなくなった途端、心の中に芽生えた罪の意識や、自分の正体が露呈する恐怖に取り憑かれてしまうのです。それに加え、自分が犯した牧師殺しの罪で別の男が捕まり、冤罪の裁判を受けることになるという事実や、その裁判で自分が証言台に立つということが極度のプレッシャーになる。彼はこのプレッシャーの中で自滅していってしまう。

 男が最初に何から逃げていたのか。牧師殺しの前に、一体どんな罪を犯したのか。それは映画の中で一切明らかにされない。映画の冒頭とラストがシンメトリーの構成になっていることから、主人公の男も何らかの濡れ衣や微罪で警察に追われていたことが考えられるが、これは映画を構成面から解釈しすぎた感想かもしれない。そもそも、この映画の中には男を追う警察の姿すら描かれていないのだ。その話は牧師がしただけだし、その話が的を射たものなのかどうか、男の表情からは読みとることができない。いずれにせよ、主人公の男はそう大きな罪が犯せるような男ではないように思えます。

 寓話的な心理ミステリーとして、かなり面白くできた映画。劇場公開の予定もあるみたいです。

(原題:THE QUARRY)


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