雨あがる

1999/09/27 東京国際フォーラムCホール
黒澤明の遺作脚本を黒澤ゆかりのスタッフ・キャストが映画化。
黒澤映画の精神がきちんと生きている。by K. Hattori


 昨年9月に亡くなった黒澤明監督の遺作脚本を、かつて黒澤組と呼ばれたベテランのスタッフたちが結集して映画化した時代劇。これが監督デビュー作となる小泉堯史は、長年黒澤監督の下で助監督をしていた人。メインキャストとスタッフはすべて黒澤映画ゆかりの人々で占められており、さながら黒澤映画の同窓会という雰囲気。僕はこの映画の製作発表も見に行ったのだが、その時は黒澤久雄プロデューサーが「黒澤明の遺志」を強調し、小泉監督も「とにかく黒澤さんに教わったとおりに作りたい」と繰り返していたので、完成品が単なる黒澤映画のイミテーションやコピーで終わってしまうことを心配していた。だが今回実際に映画を観て、僕の予想がよい方向にはずれたことに驚いてしまった。

 この映画は脚本が黒澤明だということを差し引いても、黒澤明作品の匂いがぷんぷん漂う作品になっている。黒澤ファンなら、この映画から過去の黒澤映画をいろいろと連想するだろう。映画導入部の長雨は『羅生門』、木賃宿のじめじめした雰囲気は『どん底』であり、突然の宴会は『まあだだよ』の誕生会を思い出させる。主人公が林の中で居合いの型を付けるシーンは『七人の侍』の久蔵。追っ手に取り囲まれた主人公が町道場の門弟たちを一気にやっつける場面は『赤ひげ』の岡場所での乱闘。御前試合で槍が持ち出されると『隠し砦の三悪人』。ラストは『椿三十郎』の匂いもするが、むしろ原作の「日日平安」だろうか。だがこうした引用が、単なる引用では終わっていない。ほとんどはきちんと映画の中でドラマとして消化されている。(一部消化不良もあり。)

 寺尾聰が剣豪役と聞いて少し不安だったのだが、これが意外や役とはまっている。寺尾聰は晩年の黒澤作品『夢』『まあだだよ』で監督自身の役を演じているので、黒澤監督が生きていても寺尾聰にこの役を与えたかもしれない。役の解釈としてはもっとヤンチャな方向に振ることも考えられそうだが(例えば勝新太郎のような熱血漢)、この映画の解釈も正解だと思う。不安だった立ち回りも素晴らしい。木賃宿からぶらりと林の中に入り、徐々にピリピリとした雰囲気を漂わせてくるところなどは絶品。御前試合の場面で見せる体の動きもキビキビしていて、「辻月丹直伝の剣豪」らしさが感じられる。

 黒澤ファンがこの映画で一番喜ぶのは、三船敏郎の長男・三船史郎が殿様の役で登場する場面のはずだ。怒鳴るように台詞をしゃべり豪快に笑うその姿は、若い頃の三船敏郎に生き写し。時々どうしようもなく芝居が無骨でぶっきらぼうなものになるのだが、そこでかいま見える彼の地金の部分に、三船敏郎から受け継いだ「血」を感じてしまう。役者としては大根。でもこの映画には、この「血」が絶対に必要だったのです。

 映画は『椿三十郎』の後日談のようにも見えた。『用心棒』から『椿三十郎』を経て「鞘に収まった名刀」になった三十郎が、この映画の主人公・三沢伊兵衛なのではあるまいか。寺尾聰で三十郎もできそうです。


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