葡萄酒色の人生
ロートレック

1999/06/17 日本ヘラルド映画試写室
猥雑なモンマルトルを愛した世紀末の画家ロートレックの生涯。
風俗考証は完璧だが話は散漫になった。by K. Hattori


 先日のフランス映画祭でも上映されたが、「どうせ試写が回っているからそちらで観よう」とパスした作品。前世紀末のパリで活躍した画家、ロートレックの伝記映画だ。主人公の誕生から死までの描いているため、貴族の跡取り息子として生まれたロートレックの優雅な生活ぶりや、酒と病で身体と精神を蝕まれた晩年の悲惨な生活ぶりがよくわかる。当時の時代背景や風俗を再現している部分については、興味深い点もいろいろとある映画だが、物語としてはとりとめのないものになっている。主人公ロートレックの行動は克明に描かれているものの、彼がそうした行動をとらなければならなかった「理由」と「動機」までなかなか踏み込んでいけないのだ。

 物語の中心になるのは、ロートレックが家を出て本格的に絵画を学び始める17,8歳頃から、36歳で死ぬまでの20年近い時間。これを2時間8分に詰め込むには、ロートレックの人生から何らかの糸口を見つけだし、それを中心に物語を作らなければならない。この映画ではロートレックとシュザンヌ・ヴァラドンの恋愛を、物語の中心軸にしている。シュザンヌはルノワールやドガなど、当時一流の画家たちのモデルをしていた女性で、本人も絵を描く人だった。私生児として生まれたシュザンヌは、自分も私生児を産んで画家に育てた。それがユトリロだ。この映画でロートレックとシュザンヌが出会ったとき、ゆりかごの中にいた赤ん坊がユトリロだろう。

 ロートレックとシュザンヌの関係は数年で終わっているので、ふたりのロマンスを軸にロートレックの死までを描くことには無理がある。この映画はその無理を押し通そうとして、物語に締まりがなくなってしまった。ロートレックのシュザンヌに対する断ち切れない気持ちを描くのなら、彼女が彼にとってどのように特別な女性であったのかを、もっと丁寧に描かなくてはならない。カフェで出会って一目惚れしたというだけでは、その後のロートレックがシュザンヌとの思い出を一生引きずって生きていく理由がわからない。

 ロートレックといえばムーラン・ルージュをすぐ連想するし、ムーラン・ルージュと言えばカンカンだ。この映画ではムーラン・ルージュ名物のカンカンを完全に再現しているのだが、その迫力はルノワールの『フレンチ・カンカン』に遠く及ばない。それは単に踊り子たちのドレスが地味だということではなく、カンカンが登場する場面で、物語の関心はカンカン以外の場所に向かっているからだろう。しかし、僕はこの構成に疑問がある。ムーラン・ルージュ時代のロートレックは人生の絶頂期なのだから、その華やかさをカンカンなどの出し物で象徴的に描いてもいいはずだ。あえてそれに水を差すような物語にしたことで、最高の気分から最低へと瞬時に転落する人生の皮肉が薄らいでしまったように思う。

 10数年のエピソードを短い時間に詰め込んだため、時間の流れが見えにくいのが残念。もう少し全体のエピソードを整理してやる方法もあったと思うのだが……。

(原題:Lautrec)


ホームページ
ホームページへ