父の跡をたどって

1999/06/12 パシフィコ横浜
(第7回フランス映画祭横浜'99)
青年がようやく探し当てた父親はケチな詐欺師だった……。
ユーモアたっぷりのロードムービー。by K. Hattori


 妊娠した母を捨てて、姿を消した父ベルトラン。母が亡くなったあと、ソーヴールが探偵を使って探し当てた父親は詐欺師だった。電話で自己紹介したソーヴールに、父は「子供の心当たりなどない」と言い切って電話を切る。ソーヴールはお人好しの他人を装って父親に近付き、彼の詐欺を助けることになってしまう。コック見習いをしていたはずなのに、父に認められたいがゆえに難しい詐欺の道に足を踏み入れるソーヴール。だがある女性との出会いをきっかけに、彼は父に反抗しはじめる。

 土曜日の朝9時過ぎから上映されることもあり、眠い目をこすりながら駆け付けた作品。これでつまらない映画ではたまらない。今回は幸いなことにいい映画にぶつかって、胸を撫で下ろすと同時に喜ばしい気持ちになった。それまでまったく無関係に生きてきた父と子が初めて出会い、騙し騙されの詐欺行脚を続けるというロードムービー。脚本がよくできていて、最後の最後まで先が読めない展開だ。詐欺師を主人公にした映画はたくさんあるが、この映画はそんな「詐欺師もの」の中でも面白い部類に入ると思う。監督はこの映画を作るにあたって『ペーパ・ムーン』に影響を受けたという。

 『瞼の母』ならぬ「瞼の父」を探して、それまで平凡な市民だったソーヴールが悪の道に染まっていく様子が面白い。父親の過去の暮らしぶりや性格が丁寧に描かれているのに対し、ソーヴールのそれはごくわずかしか描かれていない。しかし物語の途中で彼の少年時代の話が少し明らかになるなど、必要最小限のエピソードや伏線はきちんと張ってある。彼は自分を育ててくれた母親を愛しているし、誇りに思っている。たとえ世間から母親がどう思われていようと、彼にとって母親は神聖な存在だ。だから彼は、父親が母のことを忘れていることにショックを受ける。父にとって母は、旅先で出会った気軽に抱ける女のひとりでしかなかったのだろうか。この映画はこの点について、決して「隠された甘い現実」など描きださない。父親は母を愛してはいなかった。母がどれだけ父を待っていたとしても、彼が戻ってくるはずなどなかったのだ。子供にとって、自分が「愛の結晶」ではなく「一時的な欲望の結果」でしかないという現実を受け入れるのは難しい。

 仕事のために女を利用しようと決めたとき、父親は女を口説く役を、中年のベテラン詐欺師に依頼する。だが息子は自分を無視する父親に張り合うため、自分で女を探して口説きはじめるのだ。このくだりは映画の中でも一番コミカルで、いかもスリルのある部分だと思う。映画を観ている大方の観客が予測するように、騙すつもりで近付いたソーヴールは彼女に本気になってしまう。しかし彼女の方も、なかなか一筋縄では行かないのだ。

 父親ベルトランの寸借詐欺が、やがて別の詐欺に結びついてゆく展開は見事。最後は父子孫の三代がからんだホームドラマ風のハッピーエンドになると見せて、さらに懲りない男ぶりを発揮するのが面白かった。

(原題:JE REGLE MON PAS SUR LE PAS DE MON PERE)


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