ヒューマニティ

1999/06/10 パシフィコ横浜
(第7回フランス映画祭横浜'99)
今年のカンヌでグランプリを受賞した映画だが、僕はダメだった。
やたら深刻で、ひたすら暗いばかりなのだ。by K. Hattori


 今年のカンヌ映画祭でグランプリと最優秀男優賞、最優秀女優賞を獲得した2時間半の大作。今年のカンヌは受賞結果に色々と異論もあったそうですが、確かにこれでは異論も出るでしょう。好き嫌いがはっきりしそうな映画で、僕は正直言って苦手だし、好きになれない映画です。2時間半もかけて、人間の愚かしさや醜さだけを延々描き続けているような気がして、観ていても、観終わっても、ひどく気が滅入り、不快な気分になりました。

 主人公は30歳の刑事ファオラン・ドゥ・インテール。彼は2年前に妻子を亡くし、現在は母親と同居中。小さな町の小さな警察署に勤める彼は、同じ通りに住むドミノという女性に心惹かれている。町では11歳の少女がレイプ殺人の被害者になり、警察総出の捜査が行なわれているが、捜査は一向にはかどらない。物語と言えるものは、ほぼこれだけ。普通ならここから、主人公ファオランがどのように過去の心の傷を癒すのか、ファオランとドミノの関係はどうなるか、殺人事件の犯人は誰かなど、最初に提示された謎を解消する方向で物語が進んでいくだろう。だがこの映画は、そうした「解決」を一切拒否する。人間関係はもつれたまま、事件はある時突然なんの前触れもなく解決してしまう。ではこの映画は2時間半の間、一体全体なにを描いているのか。それは人間の住む世界の醜悪さです。この世には美しいものなどひとつもない。この世の醜さの中で、人間は傷つき苦悩しながらのたうち回るしかない。

 ファオランはいつも虚ろな目をしています。ガラス玉のような生気のない目はどこにも焦点を合わせることがなく、視線は常に宙をさまよい続ける。彼がもともとこういう人間だったのか、それとも妻子を失ったことでこうなってしまったのかは明らかにされません。この映画は常に現在形で語られ、過去を回想する部分がないのです。僕は彼が善良で無垢な人間だなんて信じない。彼は世の汚辱にまみれることを嫌って、浮き世離れした自分だけの世界に閉じこもっているように見えるのです。でも彼がどんな「自分の世界」を持っていると言うのでしょう。彼の中身は空っぽの真空なのです。彼は自分の周囲にバリアーを張って、自分が世間並みに汚れるのを拒絶しているのではないでしょうか。彼の態度は、いつどんなときも「我関せず」に見えてしまいます。

 この映画の中には、人間の美しさも優しさも描かれていません。かと言って、人間の愚かさを告発して、どこか別の場所に導こうという意図も見えない。恋もセックスも、この映画の中ではやけに汚らしいばかり。主人公にとって美しいものは、柵で囲われた畑のなかの花であり、管理された豚小屋のなかの親子豚です。こうした描写は、ファオランが心に囲いをして、その中にだけ安楽の地を求めているということを象徴的に表している。

 こういう映画があってもいいし、これが好きな人がいたっていい。でもこの映画を観て楽しくなる人は絶対にないだろう。日本では公開されそうもないけどね。

(原題:L'HUMANITE)


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