縄文式

1999/04/08 イメージフォーラム
ダーティ工藤が自らの緊縛哲学を語るドキュメンタリー映画。
SMというより、これはもはやアートです。by K. Hattori


 AV監督、緊縛師、映画評論家など、多彩なフィールドで活躍するダーティ工藤が、日本独自のSMである「縛り」「緊縛」についてウンチクをたれまくる異色のビデオ作品。写真集「残縄画報」を撮影中の現場を記録すると共に、その映像にオーバーラップして、ダーティ工藤が自分の生い立ちや緊縛に関する哲学がナレーションでかぶさってくる。じつは試写室に入るのが少し遅れてしまい、冒頭の10分ほどを見落としてしまったのですが、それでもこの映画はすごく面白かった。SMの写真集作りという特殊な現場を描いているため、一般的な意味でのポルノを期待すると裏切られると思う。ナレーションも観る者の劣情を刺激するようなものではなく、いわば「緊縛思想」や「縛り哲学」めいたものになっていて、セックスの匂いはあまりしてこない。

 映画では半裸もしくは全裸の美女が縄で縛られていく様子が延々映し出されるのだが、そこはあくまでも「撮影現場」であって、濃密な感情の交流があるプライベートな空間ではない。女性の身体は撮影のための被写体であり、感情を伴わないオブジェだ。ナレーションでは、ダーティ工藤監督が緊縛に目覚めるきっかけや、緊縛の歴史についての基礎知識、緊縛の美についての解説など、性感というより感性に関する話題が続く。ナレーションだけ聞いていると、これはもう芸術論です。「縄をほどいた後で肌に残る縄目の跡が美しい」とか言われると、フェティシズムを通り越して、これはもはやアートです。何ごとも生き方として突き詰めていくと、芸術になりうるのです。しかもこれは、当人の美意識に関する問題だけに、よりアーティスティックな話題に入り込みやすい。ダーティ工藤監督は緊縛アーティストなのね。

 映画の中のモデルは被写体であって、もはやエロスの対象ではない。ところが感情を持たぬはずのオブジェ(女性)が、ふと見せる本物の苦悶の表情や声が、やけに色っぽく感じられるのも事実。身動きがとれなくなるまでグルグル巻にされれば苦しいし、縛られたまま逆さ吊りにされれば、そりゃ痛いよ。モデルだって人間だもんね。でもその苦しさを我慢して、カメラマンの要望に応えるべくポーズをつけるモデルのけなげな姿。その瞬間が、なんともエロティックなのです。

 タイトルの『縄文式』とは、女性の身体についた縄目の跡を、縄文土器の縄目模様に例えたもの。面白いタイトルだとは思うけど、この映画のタイトルとしてふさわしいものかは疑問。『縄文式』という言葉からは、洗練された緊縛美の匂いがしてこないと思う。

 同時上映された『AYAKOの退院』は、ギブスや包帯姿の若い女性が病院から退院し、自分のアパートに戻ってオナニーするという、ただそれだけの短編映画。主人公が無言でカップラーメンをすすったり、スナック菓子を食べるシーンは見苦しい。ギブスで身体の動きを制限してしまうところに、フェティッシュな色気があるのかもしれませんが、僕にはよくわからない。


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