ダンジェ

1999/03/11 GAGA試写室
『バウンスkoGALS』の岡元夕紀子がスクリーンに再登場。
でも、それ以外の意味はあまり感じない。by K. Hattori


 今はなき松竹シネマジャパネスクが生み出した青春映画の傑作『バウンスkoGALS』で主演デビューしながら、共演の佐藤仁美や佐藤康恵のように映画やドラマへの出演が続かなかった岡元夕紀子が、ようやくスクリーンに帰ってきた! 共演は『キッズ・リターン』以降、積極的に映画に出演している金子賢。若い男女の危険なロマンスを描いたこの映画は、この配役だけでも観る価値はある。しかし、それだけなら上映時間が1時間55分も必要ないのです。2時間近い映画を成立させるには、キャスティング以外のドラマや演出が必要になってくる。この映画には、残念ながらそうした要素がほとんどない。岡元夕紀子はかわいいし、きれいだし、チャーミング。でも、それだけじゃ映画としては退屈です。

 金子賢演ずるタケオは、宅配バイク便のドライバー。岡元夕紀子演ずるツユコは、タケオが仕事でよく荷物を届けるエステサロンの従業員。ふたりはある休日、名画座で偶然出会い、その後、短い時間の内に熱い恋に落ちる。ツユコはタケオに1丁のピストルを見せる。それは政治家の愛人をしていた母親が、自殺したとき握りしめていたものだった。政治家はその後、汚職事件で刑務所に服役しているが、間もなく仮出所するという。ふたりはピストルの弾を手に入れ、出所してきた政治家を暗殺しようと決意する。目的を遂げた後は、ふたりの一方が相手を撃ち、自分も自殺する。それがふたりの約束だ。

 話そのものは決して難解なものではないはずなのに、このわかりにくさはどうしてなのか。この映画では主人公たちが「一線を越える瞬間」が唐突すぎて、映画を観ている側がその瞬間の心の揺れや気持ちの高まりを共有できないのだ。「一線を越える」というのは、何もセックスのことだけを言っているわけではないが、それも含まれている。ふたりが始めて関係を持つ非常階段のシーンも、観客が「なんじゃ〜?」と思っている内に終わってしまうので、この場面が映画全体の中でどのような意味を持つものかがわからない。彼らが暗殺を決意する場面もそう。まがりなりにも人をひとり殺そうとしているのに、その決心には毛ほどの重さもない。主人公たちが何を求めているのか。彼らにとって、お互いはどういう存在なのか。それがきちんと描かれていないから、映画のラストシーンも単なる痴情のもつれのように見えかねない。暗殺計画を何度も練り直す場面にもっと重みがあれば、その反動としてのラストシーンにもっと納得がいくだろうに。この映画は、やけに軽すぎる。

 ひとつひとつのカットを長く撮ることが多いのだが、そのカットの物理的な長さが、ドラマの中に果たす役目がまったく見えない。これは、撮っている側の自己満足なんじゃないだろうか。江ノ島でのデートの場面や、ファミレスでの打ち合わせ場面など、無駄なシーンもたくさんあるように感じる。これだけの話を描くなら、1時間半もあれば十分だろうに。プロローグとエピローグも余計だ。これはどちらか一方があればよい。


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