ファザーレス
父なき時代

1999/03/02 メディアボックス試写室
両親の離婚、母親の再婚などで、父の面影を失った青年。
最後は感動してしまうドキュメンタリー映画。by K. Hattori


 東京で専門学校に通う22歳の学生が、自分の生い立ちや家族を見つめ直す様子を克明に記録したドキュメンタリー映画。企画・主演の村石雅也は、日本映画学校の卒業制作としてこの映画を作った。ビデオ撮り78分のドキュメンタリー映画で、最初は主人公の露悪的な告白にイライラさせられた。彼はバイセクシャルで、夜になると上野の映画館で中年男にナンパされ、昼間はゴミだめのような部屋でごろごろして過ごす。学校にもろくに通わず、アルバイトもせず、田舎からの仕送りで細々と食いつなぐ毎日。イライラしてくるとナイフや剃刀で自分の身体を傷つけ、その痛みの中で自分の存在を実感する。やがて観客に知らされるのは、彼の実の両親は彼が幼い頃に離婚し、彼が小さい頃は伯母の家で育てられていたこと。高校時代に母親が再婚し、義理の父とはあまりうまく行っていなかったこと。高校時代に学校でイジメにあい、登校拒否になって卒業が2年延びたこと。

 主人公は長野の実家に戻って、自分の心の中にあったコンプレックスや、今まで言いたくても言えなかった数々のことを、カメラの前で語り始める。僕はこのへんが、観ていてイライラする最大の難所だった。彼は実の父親を責め、義理の父を責める。泣きながら、彼らの身勝手のせいで自分がいかに傷ついたかを訴える。でも僕はこれを観て、「お前は何様だ!」と思ってしまった。主人公は若いから、世の中や人生について、これっぽっちも妥協しようとしない。大人たちの不品行をなじり、わがままで自己中心的な態度を責め立てる。結局彼にあるのは、「僕は悪くないのに、大人のせいでこんなに傷ついている」という被害者意識だけなのです。そうか、これが世間で話題になっているAC(アダルト・チルドレン)という奴なのか。子供の頃に心に受けた損傷が、成長してもその人間のパーソナリティを支配しているという仮説。その中にどっぷりと浸って、甘ったれた自分を受け入れてくれる誰かを求める気持ち。

 実の父は自分を捨て、義理の父は自分を受け入れない。主人公は「自分には父親がいない」と思っている。ところがそうした父親たちに主人公が身体ごとぶつかることで、それまで知らなかった父親たちの別の表情が見えてくる。いつまでも「僕は被害者だ」と甘ったれ、親たちの欠点を許せないままでいる主人公に比べると、父親たちははるかに大人です。特に義理の父のキャラクターが、この映画の中では非常に大きくなってくる。人間の弱さや汚さを全部認めた上で、一生懸命生きていく人間の強さが、彼の姿を通して浮かび上がってきます。

 最初は嫌な映画だったものが、終盤は感動のクライマックスになだれ込む。それまで見えていなかった人間の姿が、カードを1枚ずつひっくり返すように、カメラの前であらわになる。結局これも、主人公が自分のみっともない部分をさらけ出しながら、周囲に全力でぶつかっていった結果なのでしょう。心の奥深いところをギュッとわしづかみにされるような、新鮮な感動があります。


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