アッカトーネ

1999/02/26 映画美学校試写室
スキャンダルな作風で知られるパゾリーニ監督のデビュー作。
1961年製作に製作されたヒモの物語。by K. Hattori


 『奇跡の丘』『王女メディア』『ソドムの市』などの作品で知られ、1975年に殺されたピエル・パオロ・パゾリーニ。彼の長編映画全14作品を連続上映する「パゾリーニ映画祭」が、4月からユーロスペースで開催されるが、『アッカトーネ』はそのうちの1本であり、1961年に製作された彼の監督デビュー作だ。モノクロ・スタンダードで描かれる物語は、ローマで売春婦のヒモをして暮らす青年アッカトーネを主人公にしたドラマ。社会の底辺でもがく人々を描いたネオリアリズモの系譜に連なる作品だが、主人公の行動に過度な同情を許さない、冷たく残酷な視線も感じられる。この作品は、今回が日本での初上映となるようだ。

 主人公のアッカトーネは、自分では定職を持たず、女に売春をさせて食っているチンピラです。女が毎朝運んでくる金で、車を買い、飲み食いし、博奕に興じている。ところがある事件をきっかけに女が刑務所に入ってしまうと、アッカトーネの生活はとたんに干上がってしまう。車を手放し、身に着けたネックレスや指輪を手放し、それでも食えなくなると、今度は別れた昔の女を訪ねて金をたかる。同時に若い世間知らずの女を口説いてものにし、彼女を新たな金づるとして夜の町に送り出す。

 アッカトーネの友人たちも、ヒモや泥棒、やくざといった連中ばかり。彼らの目から見ると、まともに働く庶民は間抜けなバカばかり。女を夜働かせれば、一晩で昼間の仕事の10倍以上も稼げる。「まともに働くぐらいなら、泥棒でもした方がましだ」というのがアッカトーネの口癖で、事実彼はヒモ生活にも泥棒にも、なんの良心の痛みも感じていない。

 僕はやくざやヒモのような人たちを、恥知らずな人間だと考えています。彼らは普通の人なら恥ずかしくてできないようなことを、モラルの枷とは無関係にやってのける。自分の恋人を娼婦にして食うことや、小さな子供からものを盗むことは、彼らにとって恥ずかしいことではないのです。世間一般の罪悪感が及ばないところに、彼らは暮らしている。かといって彼らが一切のモラルを持ち合わせていないかというと、必ずしもそうではない。彼らは我々が彼らを憎み軽蔑するように、我々の一般社会を憎み軽蔑する。アッカトーネが暮らす世界は、我々の世界の合わせ鏡みたいなものかもしれません。

 この映画は主人公の貧しさの原因を、社会の責任にはしない。彼が貧しいのは彼自身の持ち合わせたキャラクターが原因です。それは生活環境とはわけて考えなければならない。その証拠に主人公の弟はまともに堅気の生活をしているし、主人公の別れた妻はまじめに工場勤めをしている。人間の運命を個人と社会の葛藤としてはとらえず、人間の中にある内面的葛藤として描いている点で、この映画は時代背景に左右されない普遍的悲劇になり得ている。内面の葛藤をそのまま主人公の見る悪夢として描く描写が、それを裏付けている。ひとりの人間の弱さこそが、悲劇を生み出す原因なのです。

(原題:Accattone)


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