侠女
(下集)

1999/02/04 BOX東中野
女剣劇の行き着く先にある、びっくり仰天のクライマックスとは!
キン・フー監督が'71年に製作した代表作。by K. Hattori


 以前「台湾映画祭」の試写で前半だけ観たものの、後半が未見だったので、BOX東中野の「台湾映画祭アンコール」で観てきました。宮廷から反逆者として追われる女剣士の復讐劇で、前半のクライマックスである竹藪の中での戦いから物語がスタート。全編がチャンバラに次ぐチャンバラで、英語タイトルの『A Touch of Zen』を連想させる仏教的救済(?)を暗示しつつ物語が閉じられます。映画館のチラシには「乱れ舞う武侠の肉体がついに一つの哲学世界へと集約されるラストは圧巻」という紹介がされていましたが、これって「哲学世界」なのか? 正直言って、僕にはわけがわからなかった。前半が石川賢のマンガだったものが、後半になって突然、風忍のマンガになってしまったような違和感と強引さ。(こんな例えで、誰かわかる人いますかね……?)ひどく尻切れトンボの印象もあるんだけどな。

 前半でたっぷり大ふろしきを広げ、後半はそれを収拾できないままで終わっている印象を受けました。暗殺団を廃墟に引き入れて壊滅させる場面など、面白い場面もあるのですが、そればかりが続いてもつまらない。僕は途中で少し寝そうになってしまった。前半で物語の語り手をしていた若い田舎学者が、後半では赤ん坊を連れて逃げ回るだけになり、最後は映画から姿を消してしまうのもいただけない。女剣士や彼女を補佐する将軍も格好いいんですが、彼らは無表情で何を考えているのかわからないのが玉にきず。ここはやはり、喜怒哀楽の激しい学者青年を全面に出すべきではなかったか。女剣士や将軍、彼らを助ける謎の高僧は浮世離れしすぎているため、むしろ欲に駆られて彼らを追う悪漢たちの方が、人間的には魅力のある人物に見えてしまう。

 女剣士は学者青年の子供を産んで、それを彼に託したまま、自分は仏門に入ろうとする。にもかかわらず、後半の彼女には母親らしい感情が少しも見られないのです。子供の存在って、そんなに軽いものなんだろうか。とりあえず「跡継ぎだけ用意しておいてやろう」という感じがして、僕はちょっと乗れなかった。どうせなら「子供を守るために戦う」という、ベタベタした感情がからんだ方が、もっとわかりやすくなったようにも思うけど。

 立ち回りを観ていて思ったのは、弓矢の使い方に能がないこと。達人同士が戦っているので、弓矢は全部よけられるか、叩き落とされるか、途中でつかまれてしまう。それがわかっていて、何度も何度も弓矢で攻撃するのは、あまり意味がないように思える。相手が矢をかわす内に別の人が逆方向から攻め込むとか、矢を射ながら間合いを詰めるとか、一連の殺陣の中に弓矢をうまく取り入れないと面白みがない。30年近く前の映画に文句をつけても仕方ないけど、観ていてちょっと気になった。

 『侠女・下集』は物語の完結編としては意味があるのだろうが、映画としてはもうひとつピリッとしたところのない作品。最後の展開にはビックリしたけど、何度考えてもやっぱり意味がよくわからないのだ。

(原題:侠女 A Touch of Zen Part Two)


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