新座頭市物語
折れた杖

1999/01/08 浅草名画座
勝新太郎の監督第2作目にして『座頭市』シリーズ24作目。
全体の構成がメチャクチャな怪作。by K. Hattori


 勝新太郎が製作・監督・主演した、人気シリーズの第24作目。映画版『座頭市』は全26作。最後の松竹版は16年ぶりの新作だったので、それ以前に作られている一連のシリーズの中では、この作品など最末期の作品と言えるだろう。勝新太郎は『顔役』で監督デビューして、この作品が監督第2作目。(ちなみに3作目は、松竹版の『座頭市』26作目。他にテレビドラマの演出多数あり。)この映画の脚本は、『座頭市』シリーズに1作目から関わっている犬塚稔だが、この支離滅裂ぶりから逆算するに、勝新太郎の現場意見がかなり入っているはずだ。一応話はあるのだが、それとは関係のないエピソードがいくつか盛り込まれていて、構成にダブつきがある。サイドエピソードが膨らみすぎて、それだけで別の物語世界を作ってしまっているのだ。

 座頭市が目の前で死んだ老婆の形見となった三味線を持って、彼女の娘である女郎を訪ねる話がメイン。市はこの女郎を身請けするのだが、彼女にはやくざの恋人がいて、この男が嫉妬と賞金目当てに市を斬ろうとする。やくざの用心棒との一騎打ちあり、最後に大乱闘ありで、内容は一応それまでのシリーズを踏襲したものと言えば言えるのだが、女郎屋で働く下働きの娘と幼い弟のエピソードや、漁師の村にいる知恵遅れの少年、漁業権を買いあさって利益を独占しようとする商人など、本来の物語とまったく無関係の人物が大きくクローズアップされている。彼らは主人公の市と同じ世界で暮らしながら、市とは深い関わりを持つことがない。主人公の座頭市中心に物語を追う限り、彼らが何のために存在するのか謎だ。でも、幼い姉弟の話なんて、詩情があって結構いいんだよね。まったく、無茶苦茶もいいとこなんだけど。

 主人公の市が死んだ老婆の娘を身請けしようとした動機が不明だし、市の首を狙うやくざが、市を捕らえて両手を潰しながら、彼の命を奪わず逃がしてしまうのも疑問。ひとつひとつのシークエンスはともかく、話のつながりがバラバラで、全体をみるとぐちゃぐちゃです。老婆が橋から転落するシーンのモンタージュをはじめ、絵作りには独創的(独走的?)な部分もあってユニークなんですが、それがまったく「ストーリーを語る」ことに寄与していない。“座頭市の世界”は許容量が大きいので、何をやろうと「座頭市が最後にチャンバラをやればそれでOK」みたいなところがあるんですが、この映画はその許容量ギリギリまで話が脱線して行きます。

 かといって、この映画がつまらないわけではない。この映画には、ノーコンの剛速球投手みたいな迫力と危うさがあるのです。160キロのストレートがど真ん中にズバリ決まったかと思うと、次の球はまるっきり出鱈目な方向に飛んでいく。しかしその暴投球も160キロの剛速球だから、観客はそれに感心してしまうのです。映画監督としての勝新太郎にもう少しの制球力があればとも思いますが、私生活でもバランス感覚のない人だから、それはハナから無理な注文なのかもね。


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