多羅尾伴内
二十一の指紋

1999/01/06 大井武蔵野館
殺人の濡れ衣を着せられた女を、多羅尾伴内が救い出す。
昭和23年製作のシリーズ第3弾。by K. Hattori


 片岡千恵蔵主演の多羅尾伴内シリーズ3作目。『七つの顔』もそうだったが、映画のタイトルには『二十一の指紋』とあるだけで、「多羅尾伴内」の文字はない。ところが現在出版されている「ぴあシネマクラブ」や「映画大全集」の類では、タイトルが『多羅尾伴内・七つの顔』『多羅尾伴内・二十一の指紋』となっている。この頃の千恵蔵は、どういうわけか数字が付いた映画に立て続けに出演していて、多羅尾伴内シリーズの2作目は『十三の眼』、4作目は『三十三の足跡』であり、同時期に作られていた金田一耕助シリーズには『三本指の男』があり、後に『八ツ墓村』『三つ首塔』がある。多羅尾伴内シリーズと金田一シリーズは、主人公の名前や製作会社が違うものの、変装術と抜群の推理力で事件を解決する点で同工異曲の映画。メインの監督も、同じ松田定次だから、似てくるのも当たり前かもしれない。この映画には警部役で大友柳太郎まで登場し、後の『獄門島』と同じ探偵と刑事のコンビになっている。

 じつは途中でウトウトしながら観ていたので、内容はいまひとつ頭に入らなかった部分もあるのだが、この映画も『七つの顔』と同様、戦後の気配が濃厚な作品だ。資産家の遺産受取人に指名された娘に対して、他の親族たちが謀略を巡らせるという物語は、例によって浮世離れした別世界の話。ところが、ヒロインがかくまわれる焼け跡のバラックが、どうしようもなく当時の世相を映し出してしまうのだ。ヒロインはバラック作りの「光の町」に仲間たちと暮らし、彼女を亡き者にしようとする親戚たちは日毎夜毎にパーティーを開く贅沢三昧。日本が戦争に負けて新しい世の中が来ても、戦争で肥え太った資産家階級は、依然として我が世の春を謳歌している。彼らは既得権にしがみつき、正統な遺産の継承者に殺人の汚名を着せて、財産を横取りしようとするのです。

 連日の空襲で日本中の大都市は焼け野原になり、地方都市も多かれ少なかれ被害を受けた。召集された男たちの中には、戦地で命を落としたものも多い。九死に一生を得て日本に生還しても、空襲で家族が被害を受けたこともあるでしょう。それでも、日本人は「裸一貫、ゼロからやり直そう」と前向きに生きようとした。しかしそこで否応なしに目に飛び込んでくるのは、戦前の資産家たちが、戦後ものうのうと財産の上にあぐらをかいている姿だったのです。多羅尾伴内こと“正義と真実のひと藤村大造”は、そんな資産家たちに鉄槌を下します。資産家の残した莫大な遺産は、正統な後継者である貧しい人々に分配されるのです。当時この映画を観た人々は、そんな物語に拍手喝采したのでしょう。

 焼け野原に林立するバラック建築や、多羅尾伴内が悪漢たちとカーチェイスする場面で現れる焼け跡の風景は、今やどんなセット撮影でも再現不可能な本物です。物語のご都合主義を批判するのは簡単ですが、僕はここに登場する風景のリアリティに圧倒され、焼け跡の英雄・多羅尾伴内に声援を送ってしまうのです。


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