エグザイル・イン・サラエヴォ

1998/12/15 アップリンク・ファクトリー
戦火のボスニアで撮られたビデオ・ドキュメンタリー作品。
限りなくプライベートな視点が新鮮だ。by K. Hattori


 つい数年前まで激しい戦闘が続けられていた、ボスニア・ヘルツェゴビナを記録したドキュメンタリー作品。ボスニア関連の映画というのは、ここ何年かでかなりの数の作品が公開されている。僕が観ただけでも『ユリシーズの瞳』『アンダーグラウンド』『ビフォア・ザ・レイン』『ピースメーカー』『パーフェクト・サークル』『ボスニア』『ウェルカム・トゥ・サラエヴォ』など、とっさに思い出せないぐらいの数が日本で公開されているのだ。東西冷戦が終わった途端に勃発した血で血を洗う民族紛争が、映画作家に与えた影響は非常に大きい。そして、こうした内戦の影響は、世界中の一般市民の中にも「何かしなければ」という焦燥感を生み出していく。自分が何らかの形でボスニアと関わりを持つ人であれば、そうした気持ちはなおさらだろう。

 この映画は、プロの映画監督やドキュメンタリー作家が作った作品ではない。幼い頃にボスニアからオーストラリアに移住したひとりの俳優が、自分の生まれ故郷に再び起きた戦火を記録した、きわめてプライベートなドキュメントだ。歴史の一部を記録した作品としての面もあるが、むしろ、作り手の個人的な体験を一人称で描いた映像エッセイという面が大きい。監督はオーストラリア人のタヒア・カンビスと、彼がサラエヴォで助手として雇ったアルマ・シャバーズという女性。彼女はカンビスの助手であり、戦火のサラエヴォを道案内するガイドであり、映画の途中からはカンビス監督と共に映画を製作するパートナーになり、最後は恋人同士になる。この映画はボスニア紛争が終結するまでの貴重な映像記録であると同時に、それまでオーストラリアとサラエヴォという地球の裏側に暮らしていた男女が、戦火の中で出会って恋に落ちるラブストーリーでもあるのだ。

 タイトルにある「エグザイル(EXILE)」は「亡命者」という意味。映画の中では、この言葉がいくつかのモチーフと結びついている。まず第1に、監督のカンビス自身、幼い頃に戦火のサラエヴォを離れてオーストラリアに移住した亡命者であること。第2に、激しい戦闘を避けて海外に亡命しようとする市民たちの姿。第3に、厳しい環境に耐えながら、亡命することなく祖国に留まり続けようとする、シャバーズのような市民の存在だ。カンビスから記者証を受け取ったシャバーズは、「これがあれば町から脱出することができる。でも私は、最後までサラエヴォ市民でありたい」と語る。なんとも力強い言葉だ。しかし、誰もが彼女のように強い生き方を貫けるわけではない。戦闘に巻き込まれて命を落とす、幼い少女のエピソードが印象的だ。亡命せずにがんばり続けた母親が払った代償は、あまりにも大きかった。結局この母親は、アメリカに亡命する。命を失った少女は、亡命の機会がありながら市内に留まった母親を責めるだろうか? 町を守ろうと戦っている市民たちは、亡命した人たちを責めるだろうか? 戦争の中では、亡命する者もしない者も、ともに地獄を見ずにいられない……。

(原題:EXILE IN SARAJEVO)


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