富江

1998/12/10 徳間ホール
マンガ家・伊藤潤二のデビュー作「富江」を実写映画化。
ホラー映画なのに恐くないのは脚本が悪い。by K. Hattori


 マンガを原作にしたホラー映画なのですが、僕は原作を読んでいないので、この映画が原作に対してどのように挑み、どのように映像化に成功(あるいは失敗)しているのかが正確に判断できない。単純に映画として観ると、僕はあまり高い評価ができない作品です。だって、ぜんぜん恐くないんだもん……。

 写真学校に通う泉沢月子は、3年前に事故で一時的な記憶を失い、それが原因で不眠症になっている。彼女は精神科医・細野のもとで催眠治療を受けているが、事故前後の記憶は一向によみがえる気配がない。同じ頃、彼女が暮らすアパートの下の階に、バスケットケースの中の生き物に食事を与える若い男が越してきた。バスケットの中の生物は女の生首のような姿だったが、間もなく若い女の姿にまで成長する。はたしてこの生き物の正体は何なのか。催眠治療の中で月子が口にした「トミエ」という言葉と、細野医師のもとを訪れた刑事が出した「川上富江」という人物の関係は?

 こうやってプロットを書き出していくと、この物語はそれなりに面白そうなものです。人物を整理してきちんと構成すれば、かなり恐い映画になりそうです。しかし出来上がった映画は、脚本があまりこなれていない。これは全体の構成に関する問題でしょう。物語が動き出していよいよという時に、脇のエピソードが出てきて物語の流れを妨げたり、逆に物語の背景を語らなければならないときに、エピソードの数が不足したりしている。主人公は泉沢月子ですが、この映画では月子の友人、恋人、精神科医、刑事、階下の男、富江などのエピソードが次々に登場し、月子本人のキャラクターが弱くなっている。所々で語りの視点を主人公から外してもいいのですが、基本的には月子中心に物語を進めないと、観客は彼女に肩入れできなくなってしまう。

 主人公月子は、消えてしまった自分の記憶の中に、巨大な恐怖の源があることを薄々知っている。彼女は恐怖に立ち向かうために催眠療法を受けますが、心の奥底では、その恐怖から目を逸らそうともしている。事件の真相を知る母親を避けようとしているのも、その現れでしょう。映画はこうした月子の心の動きを、つぶさに追って行くべきだった。見えない場所で成長する恐怖(この中には恋人や友人の裏切りもある)を直接描くのではなく、月子の「不安」というフィルターを通して描けば、この映画はもっともっと恐くなったでしょう。

 月子のキャラクターが弱いのに対し、周辺の人物が個性的すぎるのも問題です。洞口依子が演じる精神科医なんて、たたずまいが不気味すぎる。キャラクターとしては『CURE』の女医と同じだもんね。田口トモロヲの刑事も、同じぐらい思わせぶりです。これは物語の流れから考えると、どうもバランスが悪すぎる。結局、人物の描写が行き当たりばったりなんだよね。話にもわかりにくいところがあって、僕は最後まで月子と富江がどんな関係にあるのか、さっぱりわからなかったよ。


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