美しきセルジュ

1998/11/12 TCC試写室
ヌーヴェル・ヴァーグ(カイエ・デュ・シネマ派)の記念すべき第1作。
旧友を助けようとする主人公の友情と葛藤を描く。by K. Hattori


 現代の映画界にも少なからぬ影響を与え続けている、フランスのヌーヴェル・ヴァーグ(カイエ・デュ・シネマ派)が生み出した、記念すべき長編第1作目。監督は『愛の地獄』や『沈黙の女/ローフィールド館の惨劇』など、最近でも地道に作品を発表し続けているクロード・シャブロル。1958年製作のこの映画は、シャブロル監督が28歳の時の作品だ。

 病気療養のためパリから生まれ故郷の小さな町に帰ってきた青年フランソワは、幼なじみのセルジュが酒浸りの荒れた生活を送っているのを見てショックを受ける。かつて周囲の期待と羨望を一身に集めていたセルジュは、大学進学前にガールフレンドのイヴォンヌを妊娠させて進学をあきらめ、そのまま結婚してしまった。しかし生まれた子供には先天的な異常のため死産。イヴォンヌは現在二人目の子供を妊娠しているが、セルジュはほとんど妻を構わなくなって義父とふたりで酒場通いを続けている。フランソワはセルジュを立ち直らせようと、何かと世話を焼くのだが、彼はそれを受け入れようとしない。やがてフランソワは、イヴォンヌの妹マリーと親しくなるのだが、そこで意外な事実を知らされる。

 現在の観客の目から見ると、ヌーヴェル・ヴァーグが当時の映画界になぜ大きなショックを与えたのかがあまりピンと来ない。それまでのスタジオ撮影から抜け出し、ロケーション撮影を主体にした手法に新しさがあったのかもしれないが、今ではこうした手法も一般的になっている。撮影所のシステム自体が解体した今となっては、撮影所での監督修行を経てから監督になる道筋自体がすたれてしまい、ヌーヴェル・ヴァーグ的な映画製作手法がすっかりメインになっているのが現状だ。逆に言えば、そうした映画製作手段を最初に提案したヌーヴェル・ヴァーグの貢献がなければ、現在の映画は存在しなかったかもしれない。ヌーヴェル・ヴァーグは「スタジオがなくても映画が撮れる」「撮影所で修行しなくても映画監督になれる」「スターの出ない低予算の映画でも興行的なヒットが見込める」ということを、映画史の中で最初に証明したのだ。この功績は非常に大きい。

 『美しきセルジュ』は扱っている内容こそグロテスクでセンセーショナルだが、話の骨格は古風な友情の物語であり、酒浸りの男が子供の誕生で立ち直るという古典的なオチで決着が付いている。吹雪の中、セルジュを探して歩くフランソワと、陣痛に苦しみながら何度も夫の名を呼ぶイヴォンヌの姿をカットバックしてゆく緊張感は、今観ても新鮮だ。僕はこの後半の一連の場面を観て、ショーン・ペンの『インディアン・ランナー』を連想した。ペンの監督デビュー作が、この古い映画に影響を受けていることは明白だと思う。セルジュとイヴォンヌとフランソワの関係を、『インディアン・ランナー』のヴィゴ・モーテンセンとパトリシア・アークエットとデビッド・モースの関係と同じなのだ。ヌーヴェル・ヴァーグの影響力は、現代の映画監督にも及んでいる。

(原題:LE BEAU SERGE)


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