故郷の春
(仮題)

1998/11/04 ル・シネマ2
東京国際映画祭/コンペティション
朝鮮戦争当時の韓国の一寒村を、少年の目を通して描く。
描写がヨソヨソしくて眠くなってしまう。by K. Hattori


 朝鮮戦争時代の韓国。戦争中の日本がそうだったように、どんな国のどんな戦争も、すべての村や町が戦場になるわけではない。この映画に登場する小さな村にも、戦争は大きく暗い影を落としている。だが、ここには直接戦闘が描かれるわけではないし、登場人物たちが戦場にいくわけでもない。「戦争」と聞くとそのイメージはステレオタイプなものになりがちだが、この映画はひとりの少年の目を通して、戦争の時代を生きる人間たちの姿を描きだしている。細かい風俗描写や美術の面では、日本人が観ても十分面白い作品だと思う。ただ、1本の映画としては「面白い」と素直に言いかねる。僕は連日の映画祭通いで疲れが出たのかもしれないが、途中で少し寝てしまった。これは、つまらないかもしれない。

 ひとりの少年の目から、定点観測的に世の中をながめた映画です。ところどころに挿入される字幕で、年月日と簡単な物語の説明、当時の社会的事件が説明される。しかしストーリーらしいストーリーはない。少年の目ではは理解できない事件、少年の目には入らなかった事件は、原則として映画から省略されているのだ。ひとつひとつのエピソードを重点的に描けばそれなりのドラマになるのだろうが、エピソードは常に断片的で、大きなドラマが生まれることを避けている。カメラポジションもロングショットと俯瞰気味の構図が多く、長回しを多用してドキュメンタリーのような雰囲気を出している。

 ひとつひとつの絵はたしかにきれいなのだが、僕はこの長回しがうっとうしかった。カメラを固定して、登場人物たちが画面から完全に消えてしまうまで延々フィルムを回し続けるような場面が多くて、途中でうんざりしてしまったのだ。カメラをドラマの中に踏み込ませず、常に一歩も二歩も引いたところから物語を見つめるような、よく言えば客観的な、悪く言えばよそよそしくて冷たい絵作りが鼻につきすぎる。最近これにもっともよく似た映画は、ホウ・シャオシェンの『フラワーズ・オブ・シャンハイ』だろう。あれも僕は寝た。そして今回も寝てしまった。僕はこの手の映画が苦手らしい。

 少年の父親を『眠る男』のアン・ソンギが演じているのだから、この映画の中心テーマが父と息子の関係にあることはわかる。だがこの父親が、はたして何者なのかがよくわからなかった。娘を米軍将校の愛人にすることで米軍の仕事にありつく一方で、米軍兵士に女を斡旋し、さらには軍の物資を横流しするヤミ屋のようなことをしているのかな。彼は「盗みはするな」と息子を厳しく叱り付けて折檻しながら、自分は軍から物資を横領しているのです。ただしこうしたタネ明かしも、この映画の中心テーマだと言い切るほど強い印象は与えない。

 いろいろなモチーフを盛り込んだ映画だが、どのエピソードも「こんなことがあったとさ」という紹介で終わってしまい、その背後にあるものは観客の想像にお任せされてしまう。韓国人なら行間を読み取って映画全体を理解できるのかもしれないが、日本人はどうでしょう。

(英題:Spring in My Hometown)


ホームページ
ホームページへ