ゴールデンボーイ

1998/11/02 渋谷ジョイシネマ
東京国際映画祭/コンペティション
スティーブン・キングの原作をブライアン・シンガー監督が映画化。
ブラッド・レンフロ主演のゲイ・ムービーか? by K. Hattori


 スティーブン・キングの短篇集「恐怖の四季」に収録されている同名の小説を、『ユージュアル・サスペクツ』のブライアン・シンガー監督が映画化。同じ短篇集からは『スタンド・バイ・ミー』『ショーシャンクの空に』が既に映画化されており、『ゴールデンボーイ』の映画化もかなり前から企画されていた。(確か新潮文庫の解説にも、映画化の話が書いてあったはず。)紆余曲折の末に映画化された本作のできに、キング本人は満足しているらしい。主演はブラッド・レンフロとイアン・マッケラン。ナチスのユダヤ人虐殺に関わり、偽名を使って逃げている老人と知合った少年が、収容所での出来事を事細かく聞き出しているうちに、殺人のとりこになってゆく物語だ。期待していた映画だが、できは平均点を大きく上回るものではなかった。理由ははっきりしている。

 原作はキング特有の、文体は三人称、実態は一人称の心理描写を多用した心理小説で、老人の語る収容所での出来事や、元囚人の体験談が生々しく語りつくされている。原作を映画化するのであれば、まずはこうした体験談を映像で再現することを考えそうだが、この映画はあえて「再現ドラマ」の手法を避けて、老人の語りの技術や、元囚人だったユダヤ人の表情だけですべてを語らせている。『ユージュアル・サスペクツ』で究極の再現ドラマを観せ、観客をアッと驚かせたシンガー監督としては、前作と同じ手法を新しい映画では避けようとしたのかもしれない。映画作家としての意欲は買うが、これは素直に再現ドラマを作ったほうがよかったような気もする。あえて再現ドラマを避けるのであれば、「語り」の芸をもっと濃厚に見せ付ける必要があるだろう。

 最初は自分の過去が露見することを恐れ、孫のような少年の言いなりになっていた老人が、途中からは逆に少年を支配しはじめる部分が、この物語のポイントだろう。老人は過去に自分が犯した「罪」と、少年が自分の正体を知りつつ通報しなかった「罪」を並べて取引材料にするのだが、ふたつの罪の重さは天と地ほども違う。老人の巧みな弁舌に惑わされ、少年がそれを同等のものだと錯覚してしまうのは理解できるが、この説明では観客が納得しない。それまで観客の好奇心を代行する分身として物語の中に配置されていた少年は、この瞬間からただの愚かなガキに成り下がってしまうのだ。この一連のシークエンスは、牙を抜かれた負け犬同然の老人が、思いがけず彼の中に眠っていた悪魔の才能を取り戻したことが伝わってくるよう、もっと印象的に、圧倒的な迫力で描かなければならないだろう。

 老人がオーブンで猫を焼き殺そうとする場面や、ゲイのホームレスを家に招く場面は面白い。進路カウンセラーもそうだが、この監督はゲイを描くと本当にうまい。ブラッド・レンフロのシャワー場面などもあるし、映画は全体に同性愛チックなイメージにあふれている。ナチスはゲイも迫害したのだが、この映画はそれには触れていない。あえて踏み込まなかったのだろうか……。

(原題:Apt Pupil)


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