ベルベット・ゴールドマイン

1998/09/10 日本ヘラルド映画試写室
1970年代にイギリスで生まれたグラムロックの栄枯盛衰。
ユアン・マクレガーがパンツ脱いで踊る!by K. Hattori


 1974年。カリスマ的な人気を誇るグラムロック界のスーパースター、ブライアン・スレイドは、ステージの上で何者かに射殺された。だがそれから数日後、この殺人事件そのものがステージ・パフォーマンスだったことがわかり、彼の突然の死のニュースを聞いてショックを受けていたファンは大反発。スレイドの人気は一気に下降線をたどり、音楽界から姿を消してしまった……。それから10年後。アメリカの新聞「ヘラルド」の記者アーサーは、デスクから「スレイドの狂言事件から10年」という読み物記事の取材を命じられる。しかしグラムロックの栄枯盛衰を同時代で体験したアーサーにとって、この仕事は気が滅入るものだった。

 新聞記者が消えた有名人の過去を取材するため関係者をインタビューして回るという構成は、オーソン・ウェルズの『市民ケーン』の形式を借りたもの。映画の中の新聞王ケーンが、実在の新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハーストをモデルにしているのと同様、『ベルベット・ゴールドマイン』にもモデルがいる。主人公ブライアン・スレイドのモデルになっているのは、今も音楽界で活躍しているデビッド・ボウイ。彼の親友カート・ワイルドのモデルは、イギー・ポップらしい。映画は最初から「この映画はフィクションです」と断っている自由さから、当時の音楽シーンで流れていた様々な噂話や暴露話、ステージ裏の秘話などを、エピソードとして盛り込んでいるようだ。僕は音楽の世界に疎いので、これらはプレス資料の受け売りだ。音楽ファンが観ると、僕のような門外漢より何十倍も楽しめる映画だと思う。

 最近はビジュアル系のバンドが日本でも無数に誕生し、その先駆けとも言えるグラムロックには注目が集まっているはず。この映画を観ると、当時のグラムロックが単なる一時的熱狂や一部マニアの支持で成り立っていたわけではなく、当時の若者ファッションや文化を牽引していたことがわかる。新聞記者のアーサーも、10年前はその文化の真っ只中にいたのだ。彼はレコードジャケットや雑誌に登場するブライアン・スレイドのファッションを真似、生活スタイルも真似る。体にぴったりのTシャツやパンツを身に着け、ヒールの厚い靴をはいて、髪を伸ばして原色に染め、顔には化粧、そして、同性愛にも目覚めてしまう。グラムロックの登場にはそれぐらいのインパクトがあったし、影響力も持っていたわけです。

 今になって、なぜこのような映画が登場してきたのかは、僕にはちょっとわからない。何よりわからないのは、この映画の中の「現在」が1984年になっていることです。この映画を「今」の映画にするなら、「現在」はやはり、1998年でなければならないだろう。'84年を「現在」にするなら、'80年代の音楽や文化に対する10年後からの批判があるべきだと思う。もちろんこの映画によって、わずか登場からわずか数年で世界中を席巻し、あっという間に姿を消したグラムロックへの郷愁は感じられるんだけど、それはノスタルジックすぎます。

(原題:VELVET GOLDMINE)


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