エデンへの道

1998/07/27 ユニジャパン試写室
ブダペストに住む解剖医の平凡な1日を描くドキュメンタリー。
生と死の対比が見事。グロだけど品位がある。by K. Hattori


 ハンガリーの首都ブダペストで、保険局の解剖医をしているケシェリュー・ヤーノシュという男の1日を、淡々と記録したドキュメンタリー映画。取材対象が解剖医ということで、映画の中には本物の解剖シーンが何度も出てきます。人間の体をバラバラに解体して行くシーンがかなり長時間に渡って映し出されますので、その手のものが苦手な人は最初から遠慮したほうがいいと思います。残酷なスプラッタ描写が売りの映画ではありませんが、解剖シーンはかなりヘビーな内容なので、観る前に体調を整えておいたほうがいいと思います。僕も今日ばかりは、万全の体調で試写に挑みました。

 映画を最初から観ていれば、この作品が死体の解剖を撮影して、観客の覗き見趣味や残酷趣味を満足させようという映画ではなく、人間の生と死について、死体を通じて語らせようとしたものであることがわかります。この映画は我々が漠然と「生」と「死」を分けて考えていることに異を唱え、生と死の境界が、じつはごく小さなものでしかないことを訴えます。ホスピスに入院中の老人たちと、解剖台の上の死体を、とっさには区別することが出来ないという事実。ついさっきまでは生きている人間についてのフィルムだったのに、次の瞬間には同じような老人が死体になっている。これは映画の製作者側が意図的にそうした編集にしているのです。

 老人たちがホスピスで職員に身体を洗ってもらい、薄くなった毛を洗髪している場面の直後に、死体の髪の毛を洗っている場面をつなぐ。または、死体の爪を切り揃えている場面の直後に、主人公が足にできたタコを削っている場面をつなぐ。観客は目の前にあったものが、生きている人間か、それとも死体か、だんだんわからなくなってくる。生と死はそれほど肉薄したものなのです。

 この映画は単に解剖室の中だけを映すのではなく、主人公の家庭人としての側面も描いたことで、作品としての厚みを出している。職場に弁当を届に来た娘と、主人公が話をする場面が面白かった。興味深そうに解剖室の中を見て回る娘に、器具のひとつひとつを丁寧に説明する父。彼が自分の仕事にどれほど誇りを持っているか、どれほど情熱を傾けているかが、これほどしっかりと描かれている場面はありません。こうした生活者としての面がきちんと描かれているからこそ、映画のテーマである生と死が際立ってくる。映画の中で「死」を表現するのは、ホスピスの老人たちや解剖台の上の死体であり、「生」を表現するのは、主人公とその家族たちなのです。

 この映画は日本人から見るとショッキングな場面もいくつかあります。それは解剖そのものではなく、死体の扱い方。僕は映画の冒頭と終盤に出てくる、ダンボールの棺がちょっとショックでした。逆に感心したのは、映画の最後に登場する自動散骨機。専用の台にセットすると骨壷の灰が高圧の空気で吹き飛ばされ、同時に周囲から高だかと噴水が上がる。散骨を希望しながらも場所が見つからない人のために、日本にも作るべきです。

(原題:Der Weg nach Eden)


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