北京のふたり

1998/07/17 UIP試写室
中国滞在中のアメリカ人が、身に覚えのない罪で逮捕された。
北京市街の大掛かりなセットが見事です。by K. Hattori


 商談で北京を訪れていたアメリカ人ジャック・ムーアは、身に覚えのない殺人事件の犯人として警察に逮捕される。アメリカと中国の警察制度の違い、司法制度の違い、人権意識の違いなどに戸惑うジャック。徹底して無罪を主張しているにも関わらず、公選弁護人となった女性弁護士シェン・ユーリンは、法廷でいきなり有罪を認める発言をしてジャックを仰天させる。じつは殺された女性が政府高官の子女で、法廷にはその筋からの圧力がかかっている。良家の子女が外国人に殺されたとなれば、厳しい裁判になることは目に見えているのだ。下手に無罪を主張し、反省の態度なし、同情の余地なしとして死刑になるより、最初から有罪を認めた上で、酒に酔って前後不覚になった上での事件として処理し、少しでも罪を軽くした方がいいというのが弁護士側の判断だ。弁護士のやり方に納得できないジャックは、中国法の英訳本を入手して、孤立無援の法廷闘争に入って行く。

 「中国の人権問題を扱った映画」と紹介されていた映画だが、特にそうした印象は受けなかった。有力者筋から法廷に圧力がかかる話はアメリカ映画にもよくあるし、無実の容疑者が警察や刑務所で不当な扱いを受ける話もしばしば見受けられる。映画を観るかぎり、中国の司法手続き自体には、被告が特別不利益を被る点もなさそうです。アメリカ人の基準から見れば不当なのかもしれないけど、少なくとも日本人から見れば、これは「中国が舞台だから生まれる物語」だとは思えない。言葉の通じない警官に取り巻かれて小突き回されるとか、取り調べでも通訳が怪しげで本当に意味が通じているのか疑問だとか、警察で無茶な取り調べを受けるとか、裁判でしばしば通訳が途切れてつんぼ桟敷に置かれてしまうといった出来事は、逆に中国人がアメリカで事件に巻き込まれた時でも起こることだと思うのです。この映画を観て、「中国はひどい」という印象を受ける人は多いと思いますが、同じ理不尽さは世界中どこにだってあると思う。

 善良なアメリカ人が外国で事件に巻き込まれるという、ヒッチコック風の素材を扱いながら、映画はサスペンスに緊迫感がないし、ミステリーとしても中途半端。何よりつまらないのは、主人公が無実であることを、主人公自身も観客も、一度も疑わないことです。状況証拠はすべて主人公の有罪を主張し、主人公も酔って寝ていたというのだから、「本人が覚えてないだけで、本当はやっちゃったんじゃないの?」と疑わせる要素がないわけではない。ところがその点に関して「僕はそんな人間じゃない」の一言で、すべてを済ませてしまう。これじゃ物語が盛り下がるよ。ここは警察も弁護士も裁判所も大使館も主人公が犯人だと思い、主人公も「ひょうっとしたら僕がやったのか?」という点まで追い込んでから、奇跡的な大逆転を演じてほしかった。

 チベット独立を支持しているリチャード・ギアが中国に入国できなかったため、北京の町並みはオープンセットで作ってます。これはちょっとすごい。見ものです。

(原題:RED CORNER)


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