新釋四谷怪談
(前篇)

1998/07/04 国立近代美術館フィルムセンター
原作から怪談要素を抜き去った木下恵介版の「東海道四谷怪談」。
あまりにも優柔不断な伊右衛門にイライラする。by K. Hattori


 昭和24年製作の松竹映画。監督は木下恵介。脚本は久坂榮二郎。鶴屋南北の原作でお馴染みの、お岩さんと民谷伊右衛門の物語をなぞりながら、怪談としてのおどろおどろしさを抜き去った時代劇。幽霊の出現という超常現象がなくなったため、原作にある人間の愚かしさや残酷さだけが強調された、暗いホームドラマになっている。なぜこんな事になったかと言うと、当時米国の占領下にあった日本では映画の表現が極端に制限されており、封建的なもの、残酷なもの、復讐や仇討ちを肯定するもの、非科学的なものは、すべて規制の対象だったからです。これでは古典的な怪談話など、もとより映画化することが不可能です。この映画は主人公の岩と伊右衛門を「徹底的に弱い人間」として描くことで、新しい『四谷怪談』を作ろうとしてます。

 この映画の民谷伊右衛門は、演じているのが上原謙ということでもわかる通り、気弱な優男です。数年前に御役御免になって以来、傘張りの内職で細々と食べている。田中絹代演じる妻お岩は、流産したあと身体が元に戻らず、長い間床に伏せっている。伊右衛門はそんな岩を不憫に思う一方で、生活にがんじがらめになっている自分自身の身の上が嫌で嫌でたまらない。でも彼には、積極的に今の生活を変えて行こうとする気概はないのです。彼は常に受け身のまま、誰かが自分に救いの手を差し伸べて、今の境遇から脱出させてくれることを願っている。そこに登場するのが、豪商の娘お梅です。彼女は偶然町で知り合った伊右衛門に一目惚れし、彼と結婚したいと願う。一人娘を溺愛するお梅の父親も、何とかして娘の気持ちをかなえてやりたいと考える。そこに付け入るのが、この映画中唯一の悪党・直助。彼は伊右衛門に、岩と離縁して梅と所帯を持つことを薦める。伊右衛門はこの誘惑に抗うことができない。

 この映画は、お岩と伊右衛門の悲劇の原因を、伊右衛門の優しさと弱さに求めている。伊右衛門は彼の優しさゆえに、お岩に事情を説明して手を切ることができない。きちんとした説明があれば、おそらく岩は自ら身を引いて伊右衛門のもとを去ったでしょう。ところが伊右衛門は、「俺と一緒にいるとお前が気の毒だから別れよう」という口上でごまかそうとする。こんな説明では、岩が「私はどんなことがあってもあなたと一緒です」と食い下がるのも無理はない。人間、時には残酷さも必要です。

 この映画ではお岩の双子の妹、お袖というキャラクターを登場させ、田中絹代にひとり二役で演じさせることで、女性の二面性を出そうとしている。その分、お梅の影が薄くなったのが残念ですが、この映画のお梅は、伊右衛門が家を出て行こうとするきっかけでしかないということかな。むしろ直接的に伊右衛門を誘惑する、直助の人物像が面白い。滝沢修が好演しています。

 映画冒頭にある、豪雨の中の破牢シーンは大迫力。クライマックスのお岩毒殺では、岩の亡骸を抱えて小平がゆっくりと歩くところに、凄惨な美しさがあります。


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