BEAT

1998/06/29 松竹第1試写室
1960年代の沖縄を舞台にした青春映画。監督・脚本は宮本亜門。
内田有紀の熱演が光る以外は、いいとこなし。by K. Hattori


 つまらない映画です。ポニーキャニオンと博報堂が共同で立ち上げた映画プロジェクト「PeacH」の第1回作品ですが、最初がこれでは後が思いやられます。監督・脚本は宮本亜門。僕は彼の演出した芝居を、何本か観ています。デビュー作の「アイ・ガット・マーマン」は再演でしたが、「イッヒ・ビン・ヴァイル」「アステア・バイ・マイセルフ」「J・キャグニー」など、初期のオリジナル・ミュージカルはたいてい観ている。規模は小さいながらも、創意とモチーフへの愛情にあふれた舞台でした。その後、彼は大資本の大きな舞台に活躍の場を移して行き、CMには出るは、TVの司会はやるの大活躍。今回の映画製作も、そうしたマルチ・タレントぶりの一環なのでしょうか。だとしたら、この試みは今回限りとして大目に見てもいい。

 1960年代、日本本土復帰前の沖縄を舞台にした青春ドラマです。真木蔵人演ずるタケシと、内田有紀演ずるミチの、すれ違いの物語。アメリカではなく、日本でもない、オキナワという島に根を張って生きる者たちの物語。日本というより、限りなくアジアに近い島国の物語。そんな魅力的なアイデアを、まったく物語として消化しきれていないのはなぜだ。タケシとミチの関係が物語の中心なのに、ふたりの関係がいつまでたっても見えてこない不手際にイライラし通し。だらだらと続く、生気のないタケシのモノローグにも神経を逆なでされ、映像で語るべきものと、台詞で語るべきものの区別がまったくついていない鈍感さに頭をかかえる。

 そもそも、主人公タケシのキャラクターが不可解すぎる。彼は何者で、ミチに対してどんな気持ちを持っているのか、米兵ライアンとの友情はどの程度のものなのかなど、重要な点がさっぱりわかりません。一通り台詞で説明はしてあるのですが、それがタケシという人物の血肉になっていない。こんな人物と一緒に、観客が物語の中に入っていけるとは思えない。もっとわからないのは、空から落ちてきた不思議な少年の扱いです。彼は物語の中で、どんな役割を担わされているのか。この映画に、彼は本当に必要なのか。僕には彼の存在理由が、最後までさっぱりわからなかった。この少年は、マリアとまとめて一人の人物にできるよ。さらに、ライアンのミチに対する気持ちもさっぱりわからない。彼はミチに何をしてほしくて付きまとうんでしょう。映画の中には、省略できるものとできないものがあります。この映画の中では、省略してはいけないものを省略し、省略してもいいものを御大層に描いている。例えば、マリアが乱暴されるシーンは絶対に省略してはならない場面なのに、なぜか省略しているから後半が圧倒的に弱い。つまらない幻想シーンを長々と描けば、映画のテンポが悪くなる。

 内田有紀の好演を除けば、観るべき物のない映画です。帰り道に築地本願寺の前を通りながら、何年か前にここの小さなホールで観た「アイ・ガット・マーマン」の感激を思い出していた。宮本亜門よ、どこへ行く!


ホームページ
ホームページへ