ルイズ その旅立ち

1998/06/26 岩波シネサロン
大杉栄との伊藤野枝の遺児ルイズの生涯を描くドキュメンタリー。
世代を越えて伝わる思想の力に感動する。by K. Hattori


 大正12年9月1日、関東大震災が発生し、その直後から無責任な流言蜚語が原因で、多くの朝鮮人・中国人が虐殺された。同時にこの混乱に乗じ、治安維持の名目で数多くの労働運動家が不当に逮捕され、9月4日には亀戸署で平沢計七・川合義虎らが殺害される「亀戸事件」発生、9月16日には憲兵大尉甘粕正彦らにより、大杉栄と彼の妻である伊藤野枝が暴行の末に殺された。甘粕らは、この時たまたま居合わせた当時6歳の橘宗一も容赦なく殺している。まさに「虐殺」と言うしかない。大杉と伊藤には4人の娘がいたが、一瞬にして両親を失った子供たちは、親戚に引き取られて行った。この映画は、大杉と伊藤の末娘であったルイズ(改名して留意子)の人生をたどった、ドキュメンタリー映画だ。

 伊藤ルイ本人は、1996年6月28日にガンで亡くなっている。享年74歳。手術や延命治療をせず、静かに死と向かい合いながら迎えた最期だった。映画の製作はその直後からスタート。本人不在というと、人物ドキュメンタリーとしては不利な条件に思われるかもしれないが、アメリカの人物ドキュメンタリーには物故者を扱った秀作が多い。この映画も、そんなドキュメンタリーのひとつになるだろう。家族、運動の仲間達、幼なじみ、病院の医師など、伊藤ルイにゆかりのある人々にインタビューし、外側からジワジワと伊藤ルイ本人に迫って行く正攻法の手法。彼女の生い立ちと活動内容、彼女の思想的背景となった両親の活動、彼女を通じて現代に引き継がれる大杉栄や伊藤野枝の思想など、映画はいくつかの面から彼女に光を当てて行く。

 伊藤ルイは後半生を草の根の市民運動に捧げたのだが、こうした活動は「共産党系」とか「社会党系」といった政治信条とは無縁の、本当に草の根の、市井の一庶民としての立場からの運動であることが強く訴えられている。彼らは徒手空拳で権力に挑み、自分達の権利を勝ち取って行く。伊藤ルイはそんな運動体の中心人物だが、運動を組織してそのトップに座ろうなどという権力志向は皆無。その思想的背景には、両親の著作から注入された、筋金入りのアナーキズムがある。大正期のアナボル論争において、大杉栄は反共産党のアナルコ・サンジカリスム派です。このあたりは、もう少し掘り下げて解説してくれた方がわかりやすかったかもしれない。ちなみに僕は、試写から帰って百科事典で調べた。

 僕はこの映画を観て、大杉栄や伊藤野枝という人物について始めて本格的に知ることができたし、その娘であるルイズの力強い生き方に感動もした。しかし映画としては、この作品が「伊藤ルイ」を描きたいのか、「伊藤野枝」あるいは「大杉栄」を演じたいのかが判然としない部分も感じる。市民運動家たちにとって、権力を否定し、共産主義から距離を置き、最後まで市民生活に根差した運動を繰り広げた大杉栄と伊藤野枝は、偉大なる殉教者なのかもしれない。でも、その娘を主人公にするなら、もう少し別の構成もあったような気がするけど……。


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