われ幻の魚を見たり

1998/06/23 国立近代美術館フィルムセンター
十和田湖で鱒の放流に成功した和井内貞行の伝記映画。
伊藤大輔と大河内傳次郎の最後のコンビ作。by K. Hattori


 青森・秋田の両県にまたがる十和田湖には、ほんの百年前まで魚が一匹もいなかった。この映画は、そんな水産物不毛の湖に、北海道から姫鱒の移植に成功した和井内貞行の伝記映画です。伝記といっても、伊藤大輔のシナリオは史実を離れ、自由に脚色が施されているらしい。フィルムセンターの資料を見ても、ぴあシネマクラブを見ても、それがいちいち断ってあるところをみると、これはかなり史実から逸脱しているのでしょうか? 伝記映画が史実に忠実でないのは当然で、アメリカで一時期量産されていた伝記映画なんて、史実と引き比べればデタラメもいいところでしょう。でも、それは「伝記映画」という1ジャンルを形成している。『われ幻の魚を見たり』に登場する和井内貞行は、『アメリカ交響楽』に登場するジョージ・ガーシュイン程度には現実を反映していると思うんですが、どうなんでしょうね。

 映画の構成は、まるっきりアメリカ映画のスポーツものなどと同じになっています。これは伊藤大輔がアメリカ映画を意識したのかもしれないし、ベテラン脚本家としての研鑚が、結果として同じ結論を招いたのかもしれない。物語の導入部で主人公の行動の動機づけが行われ、序盤で小さな障害と順調な成功が語られ、中盤ではさらなる大きな目標にチャレンジするものの、失敗が続いて心身ともにどん底の状態になり、一度は夢をあきらめようとも思うのだが、周囲の人々のはげましで再び目標に向かって進みはじめ、最後の最後には大きな成功を収める……。たぶんこうした物語構成上の起伏を作るのには、史実から大きく離れて行く必要もあったのでしょう。

 導入部はすごく上手い。母親に一匹の鯉を食べさせるために、雪の中で遭難した少年。その捜索隊に加わっていた主人公・和井内貞行は、地元の迷信深い人々の反対を押しきって、十和田湖に鯉の稚魚を放流する。彼の行動は利他的なものですが、「世のため人のため」という漠然としたものではなく、「病気の母に鯉を食べさせようとして死んだ少年」に対する同情という、個別の動機であったとしている点が観客の共感を呼ぶのです。

 鯉の放流が思いの他うまく行ったので、主人公は鱒の養殖を思い立ちます。これは直前の成功があるから、誰も失敗など考えない。ところが失敗に次ぐ失敗で、主人公一家は破産寸前。それでも意地になって養殖から手を引こうとしない主人公が、親戚から問題児扱いされ、近所から変人扱いされ、家族は食うに事欠いて飼い犬まで口減らしに殺そうとする極貧の生活。ここで主人公が、涙ながらに「あと1回だけ、あと1回だけ挑戦してみたいのじゃ」と言う場面は涙が出ました。この場面の大河内傳次郎は、腹の底から絞り出すような声が情感たっぷり。ここが中盤のクライマックスでしょう。

 監督の伊藤大輔は時代考証にうるさい人。この映画でも、郵便屋の装束、主人公の妻のお歯黒、家族の食事シーンで出てくるお膳、親戚のちょんまげ姿など、随所に時代風俗が描かれています。なかなか楽しめました。


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