雨上がりの駅で

1998/06/03 シネカノン試写室
老人の尾行から生まれた、傷ついた魂を救済する旅。
ラストシーンがじつに印象的だ。by K. Hattori


 その日暮らしのアルバイト生活をしている19歳の女の子が、「うちの父親がボケかけているので、危険がないか遠巻きに尾行してほしい」という依頼を受ける。老人は元大学教授だったのだが、退職後に少し言動におかしな点が出てきたらしい。軽いアルツハイマー症だ。無警戒な老人を尾行するなどたやすい仕事だと思われたのだが、老人は駅で切符を買うと列車に乗り込む。こうして主人公コラとコジモ老人の、不思議な旅が始まるのだ。コラを演じたアーシア・アルジェントと、コジモ役のミシェル・ピコリが素晴らしい芝居を見せ、リアルな日常を描いた物語でありながら、どこかファンタジックな印象を与える映画に仕上がっている。

 アーシア・アルジェントは、映画監督ダリオ・アルジェントの娘。母親は女優のダリア・ニコロディ。9歳で映画デビューし、現在まで数多くの映画に出演している若きベテランです。イタリア版ドリュー・バリモアみたいなもんかな……。1975年生まれだから、この映画の撮影時には二十歳そこそこだったわけですが、堂々たる貫禄で、心の底に大きな傷を持つ主人公を演じています。コラは行きずりの男と一夜の関係を持つことはあっても、男と恋愛関係になることはない。自分の身に嫌なことが降りかかってくると、そこから逃避するように男を逆ナンパしてセックスする。そんな人物描写をしながらも、彼女が性的に奔放なようにも見えないし、特別に身持ちが悪かったり、ふしだらな女でもないことは明白。彼女は自分の行動を自分で制御できるという自信を持っているし、自己の決定の責任は自分でとればいいと考えている。彼女は責任を伴った「自由」を満喫しているのです。彼女は自分が「クソ女」だということを自覚している。彼女には何も恐いものがないように思える。

 ところが、旅の中で見えてくるのは、彼女の心の中に居座っている「母親の死」の記憶であり、そこから生まれる「死への恐怖」を抱えながら彼女が生きていることがわかる。コジモが家具展示場で突然異様な行動をとりはじめたとき、彼女は心理的なパニックに陥る。コラはコジモを展示場に置き去りにしたまま、そこから逃げ出してしまう。彼女は行きずりの男と一夜を過ごし、さらには自殺未遂まで引き起こす。

 彼女はこの経験を通して人間的に大きな成長を遂げるのですが、「水による癒し」「水による再生」というテーマは『ピアノ・レッスン』にもあったことを、僕はぼんやりと思い出した。こうしたモチーフの扱い方は、日本人の発想の中からは生まれてこないものだと思う。たぶんこのモチーフは、キリスト教の洗礼を連想させる、ある種シンボリックなものなのでしょう。

 映画のラストシーンは雨上がりの駅。アーシア・アルジェントとミシェル・ピコリの表情が、ゆっくりと笑顔へと変化して行くショットで終わります。台詞は一切ないんだけど、じつに感動的なラストでした。人間の心を癒すのは、最後は邪気のない笑顔なのでしょうか。

(原題:Compagna di Viaggio)


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