非情の時

1998/04/10 東和映画試写室
無実の罪で死刑判決を受けた息子を父親が救おうとする。
人間の描き方が秀逸で見応えがある。by K. Hattori



 赤狩りの嵐が荒れ狂うハリウッドから逃れ、イギリスに亡命して名前を変えながら映画を撮っていたジョセフ・ロージーが、初めて本名のクレジットを許された作品。冤罪で死刑を翌日に控えた青年と、彼を助けようと奔走する父親の姿を描いたサスペンス映画です。残された24時間のうちに、新たな証拠や証言を見つけ出さねばならないという「時間制限型サスペンス」に加え、二重三重の葛藤が物語をギリギリと引き絞り、クライマックスに向けて進んで行く。まさに手に汗握る1時間28分。この映画は、これが日本初公開ということです。

 この映画のサスペンスは、まず第1に、死刑執行までの時間が24時間と限られていることにある。父親はアル中患者の厚生施設に入院して、新聞や郵便をすべて差し止められていたため、息子の巻き込まれた事件について何も知らなかったのです。事件当日、泥酔して記憶のなかった息子は、「アル中は父親からの血筋だと裁判で決め付けられ、それが判決を不利にした」と父親をなじる。第2のサスペンスは、真犯人がすぐ側にいて、父親の調査をなにかと妨害すること。観客は犯人が誰かを知っているのですが、登場人物の誰もそれを知らないので、真犯人が画面に登場するたびに、観客は何が起こるかドキドキする。「父親のアル中」という設定が、物語に第3のサスペンスを生む。時間が限られている中で、父親の孤軍奮闘が始まりますが、彼は周囲からの重圧に耐え切れず、ついつい手を切ったはずの酒に口をつけてしまう。泥酔して昏睡状態になり、意識は朦朧、ろれつは回らなくなり、貴重な時間がどんどん無駄になる。

 この映画の主人公は、マイケル・レッドグレイヴ演じる、息子の無罪を証明しようと躍起になる父親デイヴィッドです。彼はスーパーマンではなく、弱い人間です。彼の弱さは、かつてアル中であったという点と、大事な時になって再びアルコールに溺れるという描写で描き尽くされている。しかしその「弱さ」は、彼の息子に対する愛情の「弱さ」とイコールではない。彼の息子への愛情は誰にもまして強く、その強靭な精神力で、最後の最後まで命懸けでことを成し遂げる。人間の強さや弱さが、決して一元的な物差しでは計れないことが、この映画には描き出されているのです。

 ロージー監督の演出は、登場する人物たちを明確に描き分け、どこにも曖昧なところがない。人物像の輪郭が立っている感じです。被害者の死因がはっきりしないとか、本人が酩酊状態だったのに罪一等を免れないのはおかしいとか、物語の序盤に若干の疑問点もありますが、「これはそういうモンだ」と片目をつぶってしまえば、あとはグイグイ物語に引きずられて行く。演出が人物本位で、ヒッチコック映画のような映像的仕掛けには乏しいけれど、正面から人間と人間がぶつかり合う様子は見応えがあります。物語が単純なハッピーエンドでは終わらないところも、甘ったるいハリウッド映画に飽き飽きしている人たちには新鮮だと思います。1957年作品。

(原題:Time without Pity)



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