遥かなる帰郷

1998/03/26 日本ヘラルド映画試写室
アウシュビッツから開放されたユダヤ人がたどる8ヵ月の旅の顛末。
最後の方はひどく退屈であくびが出た。by K. Hattori



 時は第二次大戦末期。所はユダヤ人の大量虐殺で悪名高い、アウシュビッツの強制収容所。ソ連軍に押されて敗走するドイツ兵たちは、収容所の建物を爆破し、関連書類を焼き捨て、収容者たちをことごとく射殺して証拠隠滅をはかろうとしながら、それを果せず収容所を後にする。残された収容者たちは、やって来たソ連軍に救出されるが、戦争は継続中で、簡単には故郷に帰ることができなかった。この映画は、イタリアで反ファシスト運動に参加し、後にパルチザンとして逮捕され、アウシュビッツに送られたユダヤ系イタリア人、プリーモ・レーヴィの体験をもとに描く、アウシュビッツ解放後の物語だ。『シンドラーのリスト』を出すまでもなく、収容所の中で何が行なわれていたを描いた映画は多いが、そこから開放されたユダヤ人たちが、何を考え、どう行動したかを描いた映画は少ないと思う。そういう意味で、この映画は着眼点がユニークです。

 主人公プリーモを演じるのは、演技派ジョン・タトゥーロ。収容所生活で人間らしい喜怒哀楽の表情を失い、いつも無表情でボソボソとしゃべるプリーモが、帰還の旅の中で、徐々に人間らしさを取り戻して行く様子を、巧みに演じています。ただし、この映画は主人公プリーモを大きく扱いすぎ、かえって全体が平板になっていると思う。タトゥーロは上手い役者ですが、彼の存在感が他の誰よりも勝ってしまうのは、本作の場合失敗だったかもしれません。この映画は、主人公の移動に伴ってさまざまな人物や事件が現われては消える、串団子型の構成になっている。主人公はこの映画の主人公ですが、役目としては狂言回し。串団子の「串」みたいな役目です。ところがこの映画では、その串がでしゃばりすぎ。串が太すぎて、実際に食べる部分が少なくなっています。

 この映画の主人公は単なる「観察者」「記録者」でしかありません。面白いのは、不敵なギリシャ人モルトであり、お調子者のチェーザレであり、看護婦のガリーナであり、柔和な中に情熱を燃やすダニエーレであり、収容所で親衛隊の慰み者になっていた女などを巡る、数々のエピソードです。映画はこれらのエピソードを、もっと鮮明に描くべきだったと思う。エピソードをひとつひとつふくらませ、主人公が移動する点と線の向こう側に、世界が広がっている様子を感じさせてほしかった。今ある映画は、主人公が見た世界を描くより、主人公の姿そのものを描くことに熱心になっている。彼が見た風景は、彼のキャラクターを彩る隷属物に成り下がり、全体の印象は絵日記程度に矮小化されてしまった。

 ソ連は収容所から開放された人々を、戦争が終わるまで施設に抑留していたわけですが、僕は日本人なので「戦後シベリアに抑留された日本人に比べれば、天国のような生活をしてるなぁ」と思ってしまい、まったく同情できなかった。主人公が東ヨーロッパを移動して、さまざまな国の人々に会う話なのに、全員が英語を話しているというのも、やはり違和感があった。

(原題:THE TRUCE)



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