マッド・シティ

1998/03/25 ワーナー試写室
社会派サスペンスの巨匠コスタ・カブラス監督最新作。
マスコミ批判というより世論批判かも。by K. Hattori



 資金難の博物館が警備員サムを解雇するが、本人は辞めたくないので館長に再考を願い出る。口下手なサムは、何とか館長に話を聞いてもらおうと銃を取り出すが、たまたま現われた見学の小学生たちにうろたえ、ひとまず館内のドアをすべてロック。さらに銃の暴発で、同僚の警備員を撃ってしまう。偶然館内にいたやり手のTVキャスター、マックスは、これをネットワーク復帰のための千載一遇のチャンスだと考えた。

 今やワイドショーと区別がつかなくなっているTVニュースの内幕を、痛烈に批判した社会派映画。ニュースを演出し、自分の望むものに変えていくマックスを、ダスティン・ホフマンが熱演。家族を養わなければというプレッシャーからパニックを起こし、短絡的に銃を持ち出したサムをジョン・トラボルタが好演しています。『エキゾチカ』のミア・カーシュナーがマックスのアシスタント役で、『世界中がアイ・ラヴ・ユー』のアラン・アルダがネットワーク局のアンカーマン役で登場し、映画に厚味を出している。中でもキーになるのはミア・カーシュナーでしょう。サムと過ごすうち徐々に彼に親しみを感じ、人間らしさを取り戻して行くマックスに対して、カーシュナー演じるローリーは、少女らしさを残す純真で人間味豊かなアシスタントから、血も涙もない女レポーターへと変貌して行く。

 井坂聡監督の『[Focus]』で、TV報道の行き過ぎややらせの問題を観ているので、僕はこの『マッド・シティ』に「TV批判」というテーマの新しさを感じることはなかった。しかしむしろ、この映画はTVマスコミを批判しているというより、その周辺にある「世論」をテーマにしていると解釈した方が正しいのではないだろうか。人々はTVを通じて世の中を知り、TVを通じて自らの意見を形作る。そのTVが伝える、ありもしない真実をよりどころとして……。人々が「真実を報道している」と信じているTVニュースが、今ではすっかりショービジネス化して、ある種のバーチャルリアリティ(仮想現実)になっているという事実。仮想というより、これはもう虚構です。

 アラン・アルダ扮するアンカーマンは、公平な客観報道を建前として登場します。しかし「両論掲載」は必ずしも「公正な報道」ではない。この映画の中では、少なくとも観客の目から見る限り、マックスの主張の方が真実を的確に描写している。もちろんそれも、彼の利害がからんで歪められているわけですが、その歪みだけを取り出して報道し、すべてを否定するのは公正とは言えない。犯人サムの中から同情しやすい点、ポジティブな面だけを取り出して報道するのも「公正ではない」が、サムにひたすらネガティブなレッテルを貼るのは、それ以上に「公正ではない」のです。

 世論は報道が「客観的」で「公正」であることを前提に、物事を判断しています。でもその実体は、この映画に描かれている通りなのかもしれません。

(原題:MAD CITY)



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