アンナ・カレーニナ

1998/01/27 ヤマハホール
(完成披露試写会)
トルストイの原作を、ソフィー・マルソー主演で映画化したアメリカ映画。
愛が壊れて行く描写には恐いほどのリアリティがある。by K. Hattori



 トルストイの原作7度目の映画化だそうです。今回主人公アンナを演じたのは、ソフィー・マルソー。フランスの女優が、アメリカ映画で、ロシア文学を演ずるという、かなり入り組んだキャスティングになってます。映画はロシアで大規模なロケをしていますが、スタッフ・キャストともにアメリカからの遠征組。製作は『ブレイブ・ハート』と同じアイコン・プロダクションズ。プロデューサーが『ブレイブ・ハート』のブルース・デイビーですから、その関係でマルソーにアンナ役のオファーが行ったのでしょう。監督・脚本は『不滅の恋/ベートーヴェン』のバーナード・ローズ。

 映画のできは、あまりよくありません。演出がすごく大雑把で、まるで紙芝居のように物語がスキップして行きます。たっぷり時間をかけて語るべきエピソードも、軽くいなして構わないエピソードも、まったく同じペース配分で描いてしまう乱暴さ。僕は最初から最後まで、主人公アンナに感情移入できませんでした。他のどの人物にも感情移入できない。それもそのはず、この映画は描写の焦点がどこにも定まっていません。トルストイの原作を、ただ映像でなぞっているだけ。僕は子供向けの抄訳版世界文学全集を、チャイコフスキーをBGMにして読んでいるような気分になりました。

 年配の男性との味気ない結婚生活を送っていた主人公アンナが、偶然知り合ったハンサムな士官ヴロンスキーと恋をして、家も子供も捨てて駆け落ちする話です。いずれ夫が離婚したら恋人と正式に結婚しようと考えていたアンナですが、夫はいつまでも離婚してくれず、恋人との関係もギスギスしてくる。精神状態が不安定になった彼女は、鉄道に飛び込んで自殺するのです。不倫の果てに身を滅ぼす女。トルストイの原作について、サマセット・モームは「愚かな女が、愚かであるという理由で不幸になっていく物語に同情することはできない」と言ったそうですが、僕もこの映画を観てまったく同感だった。この映画のアンナを観て、同情したり共感したりする人がいたとしたら、それはかなり変わった人です。

 この映画に決定的に欠けているのは、身を溶かしてしまうほどの恋の情熱です。アンナとヴロンスキーは、初めて出会ったパーティーで、目と目が合った瞬間に恋に落ちた。でもそれを言葉で説明するだけで、映像からはふたりの間に生じたエロチックなムードを感じさせてくれないのです。ここは観ているこちらが恥かしくなるぐらい、ドドーンと一目惚れを盛り上げておかないと、その後がつながらない。モスクワを去ったアンナが、途中の役でヴロンスキーと再会するシーンで、僕は彼のことがストーカーに見えてしまいました。この前にちゃんとふたりが恋に落ちていることを描いていないから、ヴロンスキーの行動だけが突出して見えるのです。

 映画の後半、ふたりの愛が壊れて行く場面は、個人的に身につまされました。アンナの狂気も、それを見ているしかないヴロンスキーの気持ちも、僕は理解できます。

(原題:Anna Karenina)



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