らせん

1998/01/22 東宝第1試写室
傑作ホラー映画『リング』の続編だが、こちらは凡打だった。
原作の絵解きに終わって新味はない。by K. Hattori



 この映画の前編にあたる『リング』が面白かったので、続編の『らせん』には期待していたのだが、ちょっとそれが裏切られてしまった。原作は人間関係も入り組んでいるし、話として結構長いものなので、そのまま映像化するのは困難。そこで人物を整理し、エピソードを少しずつ削って映画にする。でもそれって、原作を希釈しているだけなんだよね。『リング』の素晴らしさは、原作から抜き出したエッセンスをもとに、原作にはない柱を打ち立て、それを軸に物語を再構築した部分にあります。つまり、浅川玲子と高山竜司を元夫婦という設定にして、「子供のためにもふたりは死ねない」「ビデオを見てしまった子供を守る」という点に、物語をスライドさせた。また、原作以上にオカルト色を強調した演出も光る。ビデオを見て死んだ高校生の霊が、主人公をビデオに導き、主人公の息子にビデオを見せる。ビデオを見た後に写真を撮ると、その画像が大きく歪んでしまうという小技も、物語を恐ろしく見せていた。

 『リング』と『らせん』はそれぞれ補完し合って、ひとつの巨大な物語を作るわけだけど、『リング』の原作にも描かれていて、『らせん』で解けていない疑問も多い。『リング』では呪いのビデオを見た後、見た人あてに確認の電話がかかってくる場面がある。これは映画『リング』にも効果的に取り入れられていて、ビデオが本物であるひとつの証拠になっている。この電話って、結局誰がどういうメカニズムを使ってかけているんでしょう。それとも電話は被害者の幻想に過ぎないのか?

 話を映画『らせん』に戻す。原作は物語の後半で話のスケールが大きくなりすぎ、ちょっと急ぎ足になりすぎたような印象を受けるのだが、映画はそれに輪をかけて急ぎ足だ。ここまでくると、恐いとか不気味という前に、なんだか馬鹿馬鹿しくなってしまう。また、この物語の影の主役とも言うべき山村貞子を画面に登場させてしまったことも、恐さを半減させている原因だと思う。『リング』はそのへんを巧妙に避けていただけに、『らせん』の展開は解せない。山村貞子はすごく気の毒な境遇の人なので、顔を出すと観客は彼女に同情してしまう。気の毒な境遇の女が、世界に対して巨大な憎悪を持つというのがこの物語のキーなのだから、山村貞子はどこまでも邪悪な存在でなければならないのに……。

 主人公のキャラクターを、『リーサル・ウェポン』(1作目)のメル・ギブスンのような、自殺願望男にしたアイデアは面白い。高野舞に高山竜司同様の不思議な能力があり、それがふたりを結び付けていたという設定もアイデア賞もの。しかしそうした個々の設定が、物語の中であまり効果的に活かされてはいないのが残念。主人公の絶望的な気持ちが、事件との関わりの中でどう昇華されて行くのか。高野舞の能力と、山村貞子の関わりに必然性はあるのかなど、もう少し掘り下げると物語に深みが出たと思うのだが……。暗号を巡るミステリーも単純すぎる。鶴見辰吾にはもう少し活躍してほしかった。


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