フラバー

1997/12/18 日劇東宝
(完成披露試写会)
財政難の大学研究室で作られた新物質フラバーが大学の危機を救う。
ロビン・ウィリアムズの子供向き映画は好きになれない。by K. Hattori



 監督のレス・メイフィールドは『34丁目の奇跡』の監督ですから、そんなに腕が悪いわけではない。この映画のつまらなさは、ひとえに脚本によるものだと思う。原作になった1961年の映画『うっかり博士の大発明/フラバァ』を未見なので、どこをどうアレンジしたらこうなったのか、僕には判断できません。『34丁目の奇跡』程度には原作をうまく翻案しているのか、『101』のように原作を水で薄めて毒々しい色素で誤魔化してしまったものなのか……。今回の映画は、主人公ブレイナード博士が作った新物質フラバーをCGで見せることのみに専念し、物語の組み立てや芝居の演出が全部お留守になっている。博士と学長の恋の行方、フラバーを巡る悪党との駆け引きなどが物語の背骨になるべきなのだが、そんなストーリーより、フラバーが跳ね回ったり、ラインダンスを踊ったりする方に一生懸命になっている。

 フラバーに人間並みの意志があるような描写があるが、これが映画の筋立てをあらぬ方向に引っ張っている。屋外に飛び出していっても元の部屋に戻ってくるフラバーですから、悪党に奪われてもまた博士のもとに戻ってくるのが当然だと思ってしまう。ブレイナード博士の家にいるロボットたちの様子も、物語に不協和音を奏でる結果となった。フラバーを使って自動車が空を飛ぶというエピソード以前に、ロボットのウィーボが空中をフワフワ飛行しているのだから、肝心の自動車が飛んでも誰も喜ばないし驚かない。フラバーをある程度は無機的な「新物質」と割り切ってしまったほうが、映画としてのバランスはよくなったはずです。ただしそうなると、この映画を今時リメイクする必然がなくなるけどね。

 ロビン・ウィリアムズが名優だということは認めますが、この人が子供向きの映画に出ている様子はグロテスクです。このあたりはアメリカ人の感覚が日本人と違うのかもしれないけど、僕は『フック』や『ミセス・ダウト』のロビン・ウィリアムズが好きになれない。今回の『フラバー』でも、ウィリアムズの奇人変人ぶりばかりが強調されてしまって、とてもではないが正視できないところもあった。それにそもそも、この映画ではロビン・ウィリアムズがミスキャストなんじゃないでしょうか。研究熱心さのあまり実験に夢中になり、恋人との結婚式を何度もすっぽかすブレイナード博士をウィリアムズが演じると、彼が結婚しなければならない必然性をまったく感じないんだよね。彼の役作りのベースは「子供のまま成長してしまった大人」ですから、『フラバー』では子供が結婚するような気持ち悪さがあるのです。相手役が大人の色気を感じさせるマルシア・ゲイ・ハーディンだから、余計にそう感じてしまう。これって10歳で40歳の肉体を持つ『ジャック』が、同級生の母親とベッドインするような気持ち悪さです。

 この日の試写は、映画の前のレーザーを使った演出の方が派手で面白かった。前日のポケモン騒動があったので、ちょっと心配するぐらいでした。


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