ナヌムの家II

1997/12/17 ソニー・ピクチャーズ試写室
韓国の元慰安婦たちを描いたドキュメンタリー映画『ナヌムの家』の続編。
彼女たちを「ハルモニ」と呼ぶのは気持ち悪いぞ。by K. Hattori



 かつて日本軍の慰安婦として人生の辛酸をなめた老女たちの今を描いたドキュメンタリー映画『ナヌムの家』の続編。公開劇場で右翼の男が発煙筒をたいた事件があったことでも、社会的な話題を呼んだ作品です。僕は前作を観ていないので、その続編である本作について、作品としての主旨や内容についてはあまりコメントできる立場ではない。しかしこの映画の周辺にある諸々の出来事に、僕自身がさまざまな違和感を感じていることだけはあらかじめ白状しておくべきだろう。

 この映画を韓国から買い付け、日本配給しようという人たちの「善意」を僕は疑うわけではないが、その善意の内容はかなり気持ちの悪いものだと思う。映画に登場する老女たちを、宣伝マン(といっても女性なのだが)たちが「ハルモニ」と呼ぶのが、そもそも気持ち悪い。なんでここだけ朝鮮語になってしまうわけ? 単に「元慰安婦だったおばあさんたち」ではいけないのかな。ハルモニという言葉からは、彼女たちの境遇や立場に過度に擦り寄って行く姿勢が見えて薄気味悪い。彼女たちにどれだけ同情しようと、どれだけ過去の日本の罪科に心を痛めようと、僕たちは日本人なんだから、「ハルモニ」という言葉を使って彼女たちの側に踏み込んで行くのは、かえって失礼なのではないだろうか。黒澤明の『八月の狂詩曲(ラプソディー)』という映画の中で、どう見てもアメリカ人でしかないリチャード・ギアが、突然カタコトの日本語でしゃべりはじめた時のような違和感が、この「ハルモニ」という言葉の中にはある。

 映画に登場する「ハルモニ」たちの中には、明らかに軍の慰安婦ではなく、普通の遊廓で働いていた人たちも含まれているようだ。それを全部ひとくくりにして「慰安婦」としてしまうのは乱暴だと思うが、韓国では意図的にこれを混同させている。極端な話だが、勤労動員の女子挺身隊と従軍慰安婦をイコールにしてしまい、「日本人は朝鮮人の小学生まで慰安婦にした」と思われているらしい。でもそれに日本人までが乗っかってしまう理由が僕にはわからない。挺身隊まで混同するのは論外だけど、せめて一般の芸娼妓と慰安婦の区分ぐらいは明確にして欲しい。でないと話が混乱してしまう。

 映画の中でひとりの老婆が「当時は日本に働きに行けると聞けば、誰だって喜んでついて行った」と語っている姿が印象的だった。僕は小学生の頃、学校の先生に「日本にいる韓国・朝鮮人は、日本人が無理矢理連れてきた人たちだ」と聞かされてきたんですが、老女の証言からは、これが誤りだということがよくわかる。学校の先生も善意で生徒に教えていたんでしょうけど、結果として、それは嘘になってしまったわけね……。

 義務教育で従軍慰安婦について教えることの是非が議論されていますが、こうした「元・慰安婦」と称する人たちの意見に素直に耳を傾けると、予想外の場所で意外な事実がわかったりして面白いです。学校教材としても「ハルモニ」抜きで使ってほしい映画です。


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