あひるを飼う家

1997/12/04 ユニジャパン試写室
1963年に製作されたリー・シン監督作。台湾映画の古典的名作。
映画演出の教科書になりそうな大傑作です。by K. Hattori



 素晴らしい映画です。先日同じ李行(リー・シン)監督の『海辺の女たち』を観ましたが、これは「台湾初のカラーシネスコ映画」という以外には、特に大きな意味を見出せない映画だった。もちろん面白い映画ではあるのですが、時代を経て古びてしまった描写も目立つ大作です。ところがこの『あひるを飼う家』は、今観ても紛れもない傑作。風俗描写などには古びたところもあるのでしょうが、描かれている人情は普遍的で、観ているこちらの胸を打ちます。特に、憎まれ役の描き方がじつによい。演じている役者は『海辺の女たち』と同じですが、単なる悪党として割り切ってしまうのではなく、優しい心を持ちながらも、自らの弱さゆえに堕落してしまった男の悲劇が端正に描かれています。僕はこの映画の最後に思わず涙を流しましたが、それは主人公たちに対してではなく、この気の毒な憎まれ役に対してでした。

 父ひとり娘ひとりで、あひるの養殖をしている一家に、娘の実の兄を名乗る男が現われて無理難題を押し付ける。娘を手放したくない父親は、娘に内緒で男に金を渡すが、男の要求は次第にエスカレートし、最後は娘を引き渡すか、あひるをすべて売った金を差し出すかの二者択一にまで発展する。娘を手放しても、あひるを売っても、一家の幸せな生活は目茶苦茶になってしまう……、という話です。旅回りの一座で役者をしている男が、この映画の憎まれ役。映画は父と娘の別離の危機を中心に描かれているので、娘の兄はその危機を招く悪党です。ところがこの映画には、そんな兄の境遇に対する同情がある。それが物語に厚みを与えています。

 村の祭りで芝居を上演している主人公の兄ツァウフウが、客席の最前列で舞台を見上げる妹の姿を見つけたときの表情が演出のカナメです。この時の邪気のないツァウフウの顔。妹が自分の晴れ姿を観ていてくれるという喜びに得意満面なのが、ありありとわかります。幼い頃に生き別れ、やっとのことで探し当てた妹を、彼は心から愛している。でもその関係を金に変えてしまう弱さも、彼は持っているのです。こうした人間の二重性や矛盾は、その人の弱さから生れるものだと思いますが、この映画はそこを的確に描ききっている。

 自ら犯した行為を悔いて、金を返すつもりで通りに飛び出したツァウフウ。しかし、そこにはもう一家の姿はありません。手のひらからボトボトと札束を落とし、頭を抱えてうずくまるツァウフウ。自らの弱さのため、実の妹を永久に失ってしまう兄の苦しみと哀しみが、この場面からは読み取れます。ラストシーンで手をつないで去って行く幸福そうな一家の後ろ姿は、人間の暮らしている世界の矛盾と残酷さを象徴しているようでした。

 カラーシネスコの大画面をたっぷりと使った画面構成が美しい。あひるの行列がゆっくりと画面を横切って行くだけなのに、その映像のなんと力強いことか。生活描写もていねいで、兄夫婦の生活やつれした様子などが的確に描かれているのも見逃せません。


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