チャイニーズ・ボックス

1997/10/27 ヤクルトホール(試写会)
ジェレミー・アイアンズ演ずる記者が返還直前の香港で恋に落ちる。
ウェイン・ワン監督が描くセンチメンタルな恋愛劇。by K. Hattori



 『スモーク』のウェイン・ワン監督最新作は、香港返還を背景に、英国人の男、香港人の男、中国人の女が織り成す愛の物語。ジェレミー・アイアンズが香港暮らし15年のベテラン記者に扮し、コン・リー演じる中国出身の女と愛し合う。女はマイケル・ホイ扮する香港人実業家の愛人で、かつて娼婦をしていた過去を持っている。ジェレミー・アイアンズは白血病で余命幾ばくもないという設定。メロドラマですなぁ……。

 監督のウェイン・ワンが香港出身ということもあり、欧米人の目から見た「エキゾチックな中国」といったステレオタイプな表現は押さえられている。街の風景は自然体だし、人物描写もこちこちのステレオタイプなものを避け、陰影のあるものになっている。ただし、ジェレミー・アイアンズ扮する主人公に、僕は共感できませんでした。これは物語の根本に関することなので、この点から僕はこの映画をあまり評価できないでいる。

 香港返還で大暴動でも起きてくれることを期待している外国人記者たちに、そんな期待は無駄だと言う主人公ジョンは、香港の行く末に対してある程度リアルな感覚を持ちあわせているらしい。彼の中国や中国人に対しての認識はとりたてて現状から遊離しているとも思えないのですが、なぜヴィヴィアンに対してだけは「エキゾチックな中国」という幻想を捨てられないのだろうか。自分ではいっぱしの中国通を気取り、そのじつ恋に関してはまったくの奥手で、恋人に対して過大な幻想を持っているというキャラクターは、アイアンズ自身が以前『エム・バタフライ』で演じたキャラクターと大同小異です。

 『エム・バタフライ』の主人公は女にウブな中年外交官で、彼は自分の恋人の向こう側に、世の全女性と、自分の知りうる全中国を重ねあわせている。『チャイニーズ・ボックス』の主人公は、女にウブな男ではない。主人公ジョンには英国に別れた妻子がいるようだし、ヴィヴィアンに対しても人種や民族を超えたひとりの「女」として愛情を注いでいる。彼はヴィヴィアンを通して、中国を見ているわけではないだろう。少なくともそう意識はしていない。しかし、そんな描写の水面下で、ジョンはやはりヴィヴィアンを通して中国に触れているように感じるのです。ヴィヴィアンに欠けている部分を、マギー・チャン演ずるジーンに求めているようにも感じます。この映画は、「東洋の女には男を虜にする何かがある」という昔ながらの東洋趣味が、形を変えて表現されているだけではないでしょうか。

 この映画の脚本は、ジャン=クロード・カリエールとラリー・グロスの共同執筆になっています。つまり、そこには欧米人の視点が濃厚になっている。さらに、香港を離れて世界的な監督になったウェイン・ワンの故郷香港に対する一種の「負い目」が、香港返還という歴史の節目を、やけにセンチメンタルに描かせてしまった。主人公をもっと突き放して傍観者に仕立てればよかったのに、それが出来ないまま甘ったるい映画になりました。


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