二十歳の死

1997/09/25 東和映画試写室
デプレシャン監督の長編デビュー作、といっても52分の中編です。
登場人物の数が多すぎて誰が誰やら……。by K. Hattori



 自殺を図ったものの一命を取りとめ、危篤状態のまま病院で生死の境をさ迷っているパトリック。映画は常にパトリックを中心に物語が進行しますが、映画の中にパトリックの姿はついに登場しない。パトリックは病院にいるのですが、物語は家から一歩も出て行きません。上映時間は52分。登場人物は多いのですが、場所を限定し、時間を短く切り上げて、それでいながら舞台劇風の息苦しさをまったく感じさせない演出。久しぶりに顔を会わせた親戚同士ですが、親戚のひとりが病院で死にかけているというのに、妙にはしゃいだり騒いだり。病院からの知らせを待ちながら、登場人物全員が場違いな言動を繰り返すという可笑しさ。事件に巻き込まれた人たちを描くのではなく、何か事件が起ることを待ち構えている人々を描いた映画と言えるでしょう。

 たかだか1時間足らずの映画なのに、僕はこの映画について語る言葉を持たない。はっきり言ってしまえば、僕はこの映画がさっぱり理解できなかった。登場人物が多すぎて、誰が誰とどんな関係なのかが飲み込めなかったし、フランスの親戚関係や親戚付き合いというものがどんなものなのか予備知識がないので、そこに描かれているエピソードが真に迫っているか否かの判断ができない。「わからない映画については黙る」というのが僕の主義なので、この映画について雑誌に書けという依頼が来ても、僕は断ってしまうと思う。こんな映画、デプレシャンの全作品をとりあえず日本で公開してしまうという以外に、あまり公開する意味があるとは思えない。この映画が「よくわかる」という日本人は、そう多くないと思うけどなぁ……。ま、そういう人もいるんでしょう。

 集団劇で特定の主人公がいないから、観客である僕は、どの視点から出来事を捉えていいのか、誰に感情移入して物語を追えばいいのか戸惑ってしまいました。この映画は「自殺した男を見守る家族や親戚たち」の物語ですが、その物語を見つめている観客もまた、誰の視線でもない第三者の眼で物語を見守るだけです。これだけの人数の俳優を一度に画面に出して芝居させ、見事にさばいてゆくのだから、アルノー・デプレシャンという監督の力量は大した物なんだと思う。でも、そうした「さめた感想」しか僕は持てない。それ以上の感想を語れるほど、僕はこの映画にのめり込みもしないし、感動も感心もしなかった。体調のいい日にまた観ると、違った感想があるんだろうか……。

 登場人物の中では、ローランス・コート、マリアンヌ・ドニクール、エマニュエル・ドゥヴォスといった女優陣にばかり目が行って、その他大勢の従兄弟たちは誰が誰やらさっぱりわからないまま。誰がどういう関係の親戚なのか、年令は誰が上で誰がしたなのか、誰が兄貴分で誰が弟分なのか……。そんなこと気にするのは日本人の僕だけで、フランス人は気にならないんだろうか。あるいは、日本人でもそんなことが気になるのは僕だけなのかなぁ。ちょっとノレない映画でした。


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