モハメド・アリ
かげがえのない日々

1997/08/11 徳間ホール
1974年、ザイールの首都キンシャサで起こった奇跡。
モハメド・アリが世界ヘビー級王座に返り咲く。by K. Hattori



 1974年、モハメド・アリとジョージ・フォアマンがヘビー級ボクシングチャンピオンの王座を賭け、アフリカ・ザイールの首都キンシャサで戦った試合の記録映画。当時のアリは32歳。かつての天才ボクサーも、兵役拒否と懲役で3年のブランクを経てのカムバック後は、あまり芳しくない戦績だった。71年にはジョー・フレイジャーと戦って判定負け。73年にもケン・ノートンに判定負けしている。一方、当時のヘビー級チャンピオンだったフォアマンは25歳の上り坂。アリがてこずったフレイジャーやノートンを早いラウンドでKOし、目下負け知らずの40連勝中という実力者だった。間違いなく、当時最強のパンチを持ったボクサーです。アリとフォアマンが戦うというニュースを聞いて、誰もがフォアマンの勝利を確信し、今度こそアリは引退するだろうと考えていた。ひょっとしたら、アリ本人もそう考えていたかもしれない。だが勝利の女神は最後にアリに微笑んだ。この試合は「キンシャサの奇跡」と呼ばれ、今でもボクシングファンの語り草になっている。

 僕はモハメド・アリの現役時代をほとんど知らない。もちろん名前は知っていたが、僕の知っているアリは、アントニオ猪木の異種格闘技戦で、リングに寝そべった猪木を立ったまま挑発していた男だ。78年、アリが前歯の欠けたレオン・スピンクスに敗れたときは日本でも大騒ぎしていたが、僕はそのニュースのどこがどうすごいのかわからなかった。僕にとって、モハメド・アリはもう過去の人だったのだ。勝とうが負けようが、そんなことはもうどうでもいい。そんな気持ちだった。

 カシアス・クレイは1942年生まれ。60年のローマ・オリンピックで金メダルを獲得し、同年プロデビュー。64年には世界ヘビー級チャンピオンになる。同じ頃、ブラック・ムスリム組織「ネーション・オブ・イスラム」(映画『マルコムX』をご覧になっている人はご存知)に入り、モハメド・アリへと改名する。66年に徴兵されるが、これを拒否して起訴される。最初の裁判では有罪判決。この後も裁判闘争は続くが、アリはパスポートを奪われ、ボクシング・ライセンスを剥奪され、国内での試合を3年5ヵ月禁止されてしまう。70年には正式に引退を表明。71年にカムバックし、74年にキンシャサでフォアマンと戦うことになる。

 この映画はアリとフォアマンの試合そのものより、試合までのいきさつや、ファンの様子、試合前の相互の挑発合戦など、リング外の様子が丹念に写し取られている。試合の様子は正式な記録として、例えばボクシング中継の合間などに見ることもできるが、その時の時代背景や周囲のファンの期待度など、トータルなイベントとしてのボクシングを垣間見ることは難しい。74年のキンシャサの空気と、世界中が固唾を飲んで試合を見守る様子を再現したこのドキュメンタリーは、そういう意味でとても貴重なものだ。この映画は97年のアカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を受賞している。


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