身も心も

1997/08/01 テアトル新宿(試写会)
脚本家・荒井晴彦の第1回監督作品は青春をひきずる中年男女の物語。
永島暎子とかたせ梨乃の女優陣が素晴らしい。by K. Hattori



 脚本家として活躍してきた荒井晴彦の、第1回監督作品。いつまでも青春時代の思いに縛られ、次の一歩が踏み出せないでいる中年男女の恋物語。つい最近封切られた市川準の『東京夜曲』も、やはり同じようなテーマだったことを思い出したが、映画のテイストは大違い。『東京夜曲』を観た人は、『身も心も』と観比べるのも一興でしょう。出演は、奥田瑛二、かたせ梨乃、永島暎子、柄本明。二枚目の奥田瑛二が女房に逃げられ、さえない中年男の柄本明がモテモテという面白さ。柄本明は、最近売れっ子ですね。今村昌平の新作『カンゾー先生』では、三國連太郎降板後の主演に決まったそうな。

 『身も心も』の主人公たちは、ただ単に「中年」というわけではなく、「全共闘世代」と呼ばれる人たちです。『東京夜曲』は年齢的に同じ層を取り上げていても、それを「全共闘世代」というくくりでは語らなかった。『身も心も』では逆に、「全共闘世代」の中心部分に切り込んで行く。青春時代の混沌とした戦いの果てに、彼らが何を得て何を失ったのかはさて置き、その時代から現代にまでひきずる心の傷やわだかまりを、丁寧に解き明かして行く様子には、ミステリー映画じみたスリルがあります。共に親友に裏切られ、恋人を奪われた男と女。青春時代にすれ違った男と女が、20数年ぶりに再会して結びついて行く過程には説得力がありました。

 青春時代の熱い気持ちの残り香を胸に秘めたまま、時間だけがたち、いつの間にか大人になってしまった青年たちのなれのはて。分別臭い中年男女を演じてはいるが、その内面は、いつまでも青年時代のまま成長していない。若い頃に熱中した大きな時代のうねりがないぶん、ひとりひとりが胸に抱える思いは、せこく、みみちく、みっともない行動に結びついてしまう。登場する男たち女たちの、何と滑稽なことか。本人たちは大真面目だから、余計に滑稽だし、本人たちが滑稽さを半ば自覚しているであろうことを考えると、なんだか切なく哀れです。

 監督の荒井晴彦が脚本も書いている。人物の造形と配置、台詞の掛け合いなど、みっちりと練り上げられた脚本は見事。台詞が多い映画ですが、台詞そのもので何かを説明するのではなく、台詞と台詞の間にある「間」で観客に状況を感じさせる。映画前半にある、柄本明と永島暎子の「お芝居」の見事さ。終盤に用意されている、奥田瑛二とかたせ梨乃夫婦が別れる場面のリアリズム。奥田が母親役の加藤治子と会話する場面も面白かったし、柄本がかたせを盛んに口説く雨の場面も可笑しかった。

 かつて東京で青春を過ごした人間たちが、東京を遠く離れた小さな町で、青春時代に決着をつける物語。映画の最後に、彼らはそれぞれの新しい日常の中に帰って行く。田舎町での出来事は、まるで別世界の出来事のようにも思える。一種のファンタジーです。破局や別離を描いていても映画が清々しい後味を残すのは、このラストシーンに主人公たちの成長を感じるからでしょう。前に進んで行く人間は、やっぱり人を感動させます。


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