デボラがライバル

1997/07/30 東映試写室
縦横無尽に動くカメラが、映画に心地よいリズムやテンポを生み出す。
パターン通りのエピソードを処理する手腕も見事。by K. Hattori



 監督は『人でなしの恋』の松浦雅子。脚本家出身ですが、今回は監督専任。出演は吉川ひなの、谷原章介、松岡俊介、篠原ともえ。映画の中で演じられている芝居は、はっきり言って評価の対象外。役者の魅力もほとんどない。主役さえよければそれなりに映画は観られるし、主役が駄目でも脇がすごくよければ得した気分になれるものですが、この映画にはそのどちらもない。吉川ひなのは可愛く撮れているけど、映画全体を支配するほどの魅力は感じられません。彼女は突っ立っているだけのお人形さんで、何をやってもそこに関本朝代という主人公の人格が感じられなかった。

 何よりまずいのは、憧れの男の子と話をしている彼女の表情が、恋する少女に見えないところ。気持ちを伝えられない切なさも苦しさも、彼女の表情からは伝わってこないのです。強いて言えば、彼女はせいぜい「恋に恋する少女」にしか見えません。主人公はそれを「本当の恋」だと思っているのだろうから、恋愛映画としてはちょっと白けてしまう。憧れの先輩と屋台のラーメンをもたもた食べるシーンなども、二人の間にある情念の高まりを感じられない。若い男と女が一緒にラーメンを食い、二人は互いに憎からず思っているという絶好の場面なのに、二人の間にはエロスの香りがしない。だから男の言う「うちにくるか」という台詞がとても唐突に感じられるし、よく朝主人公が朝帰りしても、二人の間に性的な関係があったようには見えない。ここは観客が「二人の間には何事かあったのであろう」と頭で理解しなければならなくなってしまった。

 物語もあまり面白いとは思えず、キーになる台詞も印象的なものが少ない。恋に恋している朝代は、「デボラが五十嵐さんを好きだと知っていたら付き合わなかった」と言う。それを「甘ったれ」だというデボラは正しい。それに対し、朝代がデボラをなじる「オカマに普通の恋の何がわかるの?」という台詞は残酷すぎるものですが、この台詞に対するフォローは何もない。デボラがどれだけ五十嵐のことを愛しているかを考えれば、こうした台詞は普通出てこないと思う。それが簡単に出てしまうのは、朝代がデボラのことを大事に思っていないから。一方でデボラに遠慮して五十嵐と付き合えないなどと言っておきながら、彼女はデボラの気持ちなんて少しもわかっていないのです。

 物語も芝居も目茶苦茶なこの映画を、僕は結構好きだったりします。面白いのは絵作りのうまさと、映画が持っている抜群のテンポとリズム。スローモーション撮影やカメラの移動など、動きのある絵がきちんと映画のダイナミズムを持っている。何気なく使われているクレーン撮影が、映画に独特の起伏や高揚感を生み出し、これだけで三流の映画がまずまず観られるレベルにまで高められている。『ときめきメモリアル』と二本立てで興行を打つ映画ですが、『デボラがライバル』だけでも十分に観る価値のある映画になっていると思います。


ホームページ
ホームページへ