バスキア

1997/05/16 恵比寿ガーデンシネマ
(エスクァイア・シネマ・ナイト)
'80年代ニューヨークで活躍した天才画家ジャン=ミシェル・バスキアの生涯を
バスキアの友人ジュリアン・シュナーベルが映画化。by K. Hattori



 80年代のアートシーンに旋風を巻き起こした、ジャン=ミシェル・バスキアの伝記映画です。当時僕はデザイナー志望の学生でしたから、バスキアの名前ぐらいは知ってます。当時のNYアートシーンでは、街頭の落書きからスタートした画家が多く輩出されました。キース・ヘリングなどは、日本でも有名ですよね。NYにできた当時世界最大のディスコ「パラディアム」の内装を、こうした新進の画家たちが飾って話題になりました。なんだかすごく昔の話みたいでもあり、つい昨日のことのようでもあります。この映画ではアンディ・ウォーホルが重要な役柄で登場しますが、彼が日本のテレビCFに出演してたのも、80年代のことじゃないかな。

 監督のジュリアン・シュナーベルは、当時バスキアやウォーホルのすぐ近くにいた人物。映画の中では、ゲイリー・オールドマンがシュナーベルを演じてます。監督にとって、この映画は自分自身を描いた映画でもあるのです。当事者が作った映画だから、他人が作った映画より対象に対する切り込みはある面で鋭く、ある面では鈍くなる。例えば同じようにウォーホルを描いた映画なら、メアリー・ハロンの『I SHOT ANDY WARHOL』の方が切れ味は鋭い。対象を突き放して描けるから、意地悪にでも残酷にでも、自由な解釈が可能なのです。シュナーベルの描いているバスキア像やウォーホル像が、どの程度真実でどの程度脚色されているのかはわからない。

 映画からは、当事者にしか描けないデリケートさと、遠慮深さが伝わってきます。彼らは巨万の富が動くアートビジネスの真っ只中にいたのだから、奇麗事だけで物事を済ませられるはずはない。でもそうしたドロドロした部分は映画から隠し、ひたすらきれいな部分だけを描こうとしている。これは「伝記映画は真実を描くべし」と考える人にとっては許し難いことかもしれませんが、オーソドックスな伝記映画の常として許されるものだと思う。古典的な伝記映画『アメリカ交響楽』『グレン・ミラー物語』『ベニー・グッドマン物語』『ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディ』『カッスル夫妻』など、どれもきれいごとばかりではありませんか。映画なんて嘘だろうと本当だろうと、面白ければそれでいいんです。

 この映画はバスキアの伝記映画と銘打ちながら、じつはバスキアを通してアンディ・ウォーホルの晩年を描いている。シュナーベルは自分のウォーホルに対する思いをストレートに語るのが気恥ずかしくて、晩年の共作者バスキアに思いを代弁させたのでしょう。ウォーホルの死に打ちひしがれるバスキアの姿は、そのままジュリアン・シュナーベルの姿だったのではないでしょうか。その証拠に、ウォーホルの死の前後のエピソードには、シュナーベル自身の姿が見えません。

 映画にはウォーホルとバスキアの(おそらくは)本物のビデオ映像が挿入されますが、あのビデオを撮影していたのは、シュナーベルじゃないかな。少なくとも、視線はシュナーベルのものだと思います。


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