人間の住んでいる島

1997/05/03 有楽町朝日ホール
(日映協フィルムフェスティバル'97)
沖縄伊江島の戦後史を糸口に、反戦と平和を強く訴える映画。
メッセージにはひとりよがりな部分もある。by K. Hattori



 沖縄伊江島の反戦地主、阿波根昌鴻さんの生涯をなぞりながら、沖縄のたどった苦難の道のりと、平和への願いを描いたドキュメンタリー映画。90歳を過ぎてもなお基地や政府への抗議行動を止めようとしない、阿波根さんの情熱には胸を打たれる。この老人が若い頃から撮り続けた写真による記録が映画の随所に挿入され、島に強いられた不平等な重圧をストレートに描き出す。演習に巻き込まれ、流れ弾に当たり、不発弾が爆発して傷つき死んでいった同じ島の仲間達をファインダー越しにながめながら、阿波根さんはどんな気持ちだったろう。顔をそむけたくなるような惨状にであっても、彼はその記録がいつか役に立つことを信じてシャッターを押しつづけた。その粘り強さの下には、計り知れないほど大きな優しさが秘められているに違いない。

 映画はこうした阿波根さんと伊江島の歴史を紹介する前半が圧倒的に面白く力強かったのだが、後半になると政治的な主張が大きくなって主張が空回りし始めるような気がした。映画の後半で描かれている主張は極めて簡単で、要は「アメリカの基地はいらない、軍隊もいらない、基地も軍隊もなくなれば世界は平和になる」という、朝日新聞的な論旨でしょう。映画の中で阿波根さん自身はほとんどこうした趣旨の発言をしていないのだけれど、映画は彼を取り巻く支援者や、彼の話を聞きに来た高校生達の意見として「軍備廃絶=世界平和」という単純な公式を押しつけてくる。軍隊がなくなれば戦争がなくなるというほど、世界は単純にできていないのに……。

 沖縄で作られた、沖縄人自身の手によるドキュメンタリーです。沖縄のジャーナリズムが反基地一色であることは事実ですし、そうした空気が沖縄の中では共有されていることも理解できます。この映画はそうした空気の共有を前提にして作っているため、主張も中途半端になっているし、踏み込みも甘くなる。沖縄は日本国内で唯一直接の戦場になり、言語に絶する辛酸をなめました。それには十分に同情しますが、それがすぐに「反戦平和」に結びつくかというと、そうではないでしょう。沖縄の地主達は、理不尽で不法な土地の占拠を強いられています。でもそれがそのまま、「基地がなくなれば平和になる」という結論に100%結びつくのも奇妙です。

 踏み込みが生ぬるいと感じた一例として、例えば靖国神社の問題がある。沖縄戦で犠牲になった住民達は、死ねば靖国神社にまつられ、大臣や天皇陛下もそれを神として拝むのだと信じて死んでいった。自分達の死が、天皇陛下を救うことになるのだと思い込まされていた。現在、靖国神社に総理大臣や天皇陛下が公式参拝することはありません。そんなことをすれば、内外のマスコミから袋叩きです。これは死んでいった者に対する裏切りではないのか。不誠実な態度ではないのか。そう考える人だって多いのです。映画はこの点で明確な判断を避けていましたが、僕は阿波根さんが大臣の靖国神社公式参拝をどう考えているのか知りたかったのです。


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