良寛

1997/04/09 日本ヘラルド映画(試写会)
江戸末期に実在した僧・良寛の晩年を描いた伝記映画。
幸四郎は熱演だが70の老人に見せるのは苦しい。by K. Hattori



 江戸末期に実在した僧侶・良寛と、彼の晩年の弟子であり心の伴侶とも言うべき尼僧・貞心尼の交流を描いた映画です。良寛役は松本幸四郎。貞心尼を、幸四郎とはテレビ「王様のレストラン」で共演したこともある鈴木京香が演じています。良寛と貞心尼が師弟の契りを結ぶのは、良寛が亡くなる2年ほど前、良寛72歳、貞心尼31歳のときだったそうです。年齢や男女の別を超えた、人間同士の固い絆は、世知辛い現代人の心の垢を洗い落としてくれるような、穏やかで爽やかなものです。

 幸四郎はこの役のために10キロも減量し、抑制された動作と台詞で枯淡の域に達した老僧になりきろうとしています。でも残念なことに、50代の幸四郎はとても70の老人には見えない。むしろ減量して引き締まった風貌は、青年風の凛々しささえ感じさせてしまうのです。良寛と貞心尼の間にある、世俗的なつながりを超えた絆を表現するには、幸四郎の肉体が生々しすぎるように感じました。実在の良寛と貞心尼が並んでいても、そこには見る者に性的な関係を連想させるものが皆無だったと思うのですが、幸四郎と鈴木京香が並ぶと、どうしても心穏やかではいられません。映画の作り方に、もう少し工夫のしようがあったのではないでしょうか。

 物語は貞心尼の視点から語られていて、本来の主人公である良寛になかなか肉薄して行かないのは歯がゆい。ここで描かれる良寛は、ほとんどが間接的な伝聞による良寛像なんです。主人公の内面を掘り下げて行く部分があまり見られず、観客は良寛の人柄や思想に触れられたという手応えが得られない。良寛が単なる「いい人」に終ってしまい、内に秘められた情熱が感じられなかった。

 映画の中では、寒風の中で黙々と托鉢を続ける姿、名主修業をしていた若き日のエピソード、甥っ子にいたわりの言葉をかけるシーン、自分は何者かという問いかけ、鷲尾いさ子扮する尼僧・維馨尼のエピソードなどが盛り込まれているのですが、それが良寛の人物像を豊かなものにしているかというと、必ずしもすべてが成功しているとは思えません。本人を描かないのであれば、周囲の人物たちから外堀を埋めるように本丸に迫る手もあるのですが、この映画ではそうした手法も取っていません。なんとも中途半端な印象が残るのです。

 貞心尼を慕う佐吉と遊女菊のエピソードは、俗世の男女の究極の愛を、良寛と貞心尼の関係と対比させる意味があるのでしょう。「貞心尼←佐吉←菊」という関係は、「維馨尼←良寛←貞心尼」という関係の写しになっています。でもこれも、あまり成功しているとは思えません。

 ものすごく真面目で正直な映画だと思います。でもそれを娯楽作品にするためには、もう少し奇抜な仕掛けが必要だと思うのです。せっかくこれだけの役者をそろえたのに、何とももったいない。幸四郎も持てる力の3割ぐらいしか画面に出ていない感じがするものね。鈴木京香にももっと過酷な芝居を要求できるはずです。印象に残ったのが宗次郎の音楽だけではしょうがない。


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