姿三四郎

1997/03/24 並木座
昭和18年に当時32歳の黒澤明が撮ったデビュー作。
後年につながる黒澤らしさはまだ見られない。by K. Hattori



 デビュー作にはその作者のすべての要素が現れるという。しかし僕はこの黒澤明のデビュー作の中から、後年の黒澤演出の萌芽を読み取ることが出来ない。『姿三四郎』は昭和18年の作品。翌年の監督第2作目『一番美しく』からは、黒澤演出の匂いがプンプンするんですけどね。富田常雄の有名な原作に、黒澤の脚本も演出も引っ張られすぎているのかもしれません。もっとも、現存するこの映画には、戦時中の検閲でカットされた欠落個所が多い。そうした失われた場面の中に、後年の黒澤タッチが宿っていたのかもしれません。

 例えばカットされたシーンの中には、藤田進演ずる姿三四郎と、大河内傳次郎扮する師匠矢野正五郎が稽古をする場面が含まれています。試合で人を殺し、腑抜けのようになった三四郎が、師匠に幾度も投げ飛ばされているうちに立ち直って行くという、物語の中でも重要な場面。また当時のアクションスター大河内傳次郎が見せる、数少ない稽古場面のひとつだったのですが……。それが今残っていないのは残念です。

 大河内の乱闘シーンは映画の冒頭の闇討ち場面でも見られますが、ここでは暴漢たちとのつかみ合いより、襲われた瞬間、人力車から一直線に3メートルほども前に飛び降りる、大河内のばねとスピード感に注目しました。乱闘は殺陣師と稽古次第でなんとでもなりますが、こうした足腰のばねは天性のものでしょう。ところがこの大河内の持ち味が、この映画ではぜんぜん活かされていないんです。乱闘シーンに入るとカットを割ったりして演出しているんですが、この「人力車からの飛び降り」は何ともおざなりに撮られている。黒澤は自分の映画に、大スター大河内傳次郎の「体技」を求めなかったんですね。同じ映画を何度も観ると、こうした些細なところで重大な発見をすることになります。

 この映画が原作に引っ張られ、それに寄りかかっていると感じる部分もあります。有名な池に飛び込む三四郎のエピソードですが、これは映画で観ていても、主人公がそこで何を悟ったのかが皆目わからない。朝になって蓮の花が咲いて、それが何だって言うんでしょう。たぶん原作には、このあたりの三四郎の気持ちが事細かに書いてあるんでしょうね。原作小説は当時の大ベストセラーですから、小説を絵に移し替えるだけで、当時の観客は三四郎の心情までくみ取ってくれた。でも、今の観客にはそれがわからないくなっています。

 主演の藤田進は、この映画をきっかけにしてスターになります。黒澤明もこの映画のヒットで一躍人気監督になりました。配役が豪華です。師匠矢野役の大河内傳次郎も、宿敵檜垣役の月形龍之介も、当時のチャンバラ映画の大スターたちです。小夜役の轟夕起子は宝塚出身で、東宝時代劇の娘役として人気がありました。カメラマンはハリウッドで修業したベテラン三村明。映画の原作は当時の大ベストセラー小説。これだけ揃えば、監督が黒澤でなくたって『姿三四郎』はヒットしたはずです。


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