ジャック

1997/03/04 みゆき座
荒唐無稽なファンタジーの中にシリアスなテーマを盛り込んでいる。
フランシス・コッポラが死んだ息子に捧げた映画。by K. Hattori



 先天性の異常により、通常の4倍の速度で成長する少年の物語。実際は10歳の少年なのに、彼の見た目は、ひげの剃り跡も生々しく、脛や腕に毛がぼうぼう生える40歳の中年男。少年の名はジャック。演じるのはロビン・ウィリアムズです。

 「ロビン・ウィリアムズが見た目40歳の少年を演じるなんて、まるで『ジュマンジ』から進歩していないではないか」と思って、少し腰が引けていたのが正直な気持ち。ちなみにウィリアムズはスピルバーグの『フック』でも、永遠の少年ピーターパンも演じていたし、僕の贔屓映画『フィッシャー・キング』でも、好きな女性の前で中学生のように緊張する純な男を好演していましたよね。どういうわけかアメリカ人は、この毛むくじゃらの巨漢に「少年」の姿を二重映しにするようです。

 そんな先入観のあった映画なんですが、観てみるとこれがなかなか面白い。ベテラン監督コッポラが撮っているだけあって、突飛な設定の物語をきちんと日常の中に軟着陸させています。描かれているのは、少年の成長、家族の絆、命の重みとはかなさ、友情、初恋、性の芽生えなど盛りだくさん。中でも、人が親になることの戸惑い、喜び、子供が成長して行くことで感じる寂しさなどが、じつにうまく描けているのには感心しました。

 子供のいない人にとっては、子供が産まれるというそれだけでもう非日常です。子供の成長を見守る親の気持ちは、子供のいる親にはすぐ感情移入できるだろうけど、そうでない人にはなかなか共感されにくい。この映画では「4倍のスピードで成長する子供」という非日常的な前提を観客全員が共有することで、誰もが主人公ジャックやその両親、友人、教師たちの気持ちとひとつになれるのです。ジャックの成長ぶりは異常だけど、それは「子供はみるみるうちに成長する」「親にとって子供はいつまでたっても子供」という万人共通の真実を象徴的に描いているだけです。

 ジャックのいたずら小僧ぶりや日常に一喜一憂する気持ちは、どんな大人も一度は通り過ぎてきたことです。でもこれを子役がどんなにうまく演じても、大人は素直に我がこととしては感情移入できないでしょう。それは過去のことであり、ノスタルジーでしかない。ところがこの映画では、大人の観客がロビン・ウィリアムズという大人役者の肉体を通して、子供の素直な気持ちに触れられる。大人の肉体を持った子供の存在を信じることで、大人が自然と子供の気持ちに同化できるのです。

 映画はオープニングの仮装パーティーの場面から、既に思いっきりテンションの高い非日常の世界。ここを乗り切れば、観客は映画の世界にすんなりと入って行けます。母親役はコッポラ映画の常連ダイアン・レイン。大きな子供と無邪気に遊ぶいいお母さんを好演してます。子役たちもとてもうまく、この中から将来の若手スターが何人か出てくることでしょう。少し甘い物語ですが、コッポラの個人的な想いがたくさん詰まった映画です。


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