エキゾチカ

1997/01/22 日本ヘラルド映画試写室
(エスクァイア・リーダーズ・クラブ)
少女ストリップに心の癒しを求める男たちの悲しい連帯感。
アトム・エゴイアン監督の日本初紹介作品。by K. Hattori



 最後まで観てしまえばどうということのない話なのに、話の発端を伏せてあえて難しく見せようとしている。それが悪いわけではなくて、そうしなければこの物語が成立しないからそうしているのだが、最後になって「え、そんなことだったの」と思う観客も多いはず。僕もちょっとはぐらかされたような、騙されたような気分だった。

 ある出来事によって深く傷ついた主人公が、奇妙な行動を通して、つかの間の慰安と癒しを得る物語です。やや性急な要約の仕方をすれば、そういうことになる。普通に見れば、主人公は税務署員のフランシスでしょう。彼は心の傷を、奇妙な形で過去を再現することで癒している。再現の方法がストリップバー通いというのが風変わりだが、映画の最後ではこの行為の痛々しいばかりの哀しさが、じつに残酷な形で明らかにされるのだ。

 だがこの映画をよく見ると、物語の中で誰が誰を癒しているのか、誰が傷つき誰が傷つけているのかが釈然としない。この映画の中では、誰もが心に深い傷を負っているようにも見えるし、誰もが一連の出来事を通じ、それを癒されているようにも見えた。この映画の登場人物たちは、傷ついた自分たちの心を寄せ合い、互いに慰撫し合っている。そうした行為が癒しと救済につながっているから、映画の印象は後ろ向きではない。あくまでも前向きなのが、観客にとっては救いです。

 舞台がストリップバーということもあり、映画の中では常に女性の裸体が音楽に合わせて艶めかしく揺れている。しかし中心人物である美少女ストリッパーのクリスティーナには、あまりセクシャルな匂いがしない。この映画の中で、クリスティーナが性の対象ではないからでしょう。性の対象になっていないのは、クリスティーナだけではありません。この映画には、セックスの対象としての女性が登場していないのです。クリスティーナ以外にも女性は登場するけれど、すべてエロス的な関係からは隔離されている。これは異様なことです。

 監督のアトム・エゴイアンは、国際的に有名な人なんだそうです。『エキゾチカ』が監督としての6作目ですが、日本での紹介はこれがはじめて。1本観ただけでは何とも言えないんだけど、エゴイアン自身の手による脚本は巧みにできているし、美術や音楽のセンスもいい。寒色系のひんやりした空気を感じさせる画面は、同じカナダの監督クローネンバーグを思い出させる。他の作品をぜひとも観てみたい気にさせる監督です。

 フランシス役のブルース・グリーンウッド、DJ役のエリック・コーティアス、ペット屋のダン・マッケラーなどは、クリスティーナを演じたミア・カーシュナーの強烈な存在感の前にかすんでしまう。(男はやはり裸の女に弱い。)彼女は『告発』でケヴィン・ベーコンの妹を演じていたそうですが、まったく記憶にないぞ。ヴァンサン・ペレース主演の『クロウ2』ではヒロインに扮してるそうな。いつになるかわからない『クロウ2』の日本公開を、気長に待ってみるとしようかのう。


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