織田信長
(風雲児信長)

1997/01/11 文芸坐ル・ピリエ
昭和15年の日活映画。監督はマキノ正博、主演は片岡千恵蔵。
桶狭間の戦い直前で物語が終わる不可解さ。by K. Hattori



 片岡千恵蔵主演の信長伝。昭和15年の日活映画で、共演は宮城千賀子、志村喬など。千恵蔵と宮城は同じ頃『宮本武蔵』も撮っている。戦後の武蔵は錦之助だが、その前は千恵蔵のあたり役。今回文芸坐の戦前日本映画大回顧展では昭和15年の『宮本武蔵・総集編』と17年の『宮本武蔵・一乗寺決闘』がプログラムに入っていた。僕は千恵蔵というとテレビ時代劇「大岡越前」のイメージがあまりに強かったので、「千恵蔵の武蔵」と聞いてもピンとこなかった。ところが今回『織田信長』を観て、「こんなことなら武蔵も観ておくべきだった」と大いに悔やんだのだ。

 当たり前だけど、若い頃の千恵蔵は痩せているわけです。筋肉質の身体が鞭のようにしなやかに動き、野生の動物のような荒々しさと色気がある。『織田信長』の主人公信長は一国一城の主で総大将だから、チャンバラ場面はまったくない。それでもこれだけのセックスアピールがある役者なのだから、彼が武蔵を演じたらさぞやはまったであろう。稲垣浩監督の千恵蔵版武蔵については、僕が時代劇映画を観るとき教科書にしている永田哲郎の「殺陣・チャンバラ映画史」の中でも、『巌流島の決闘はチャンバラ史上屈指の対決シーン』『一乗寺決闘の型はその後の『宮本武蔵』にほとんど踏襲されている』と書いてある。今度機会があったら是非観ようと決意!

 で、話は『織田信長』に戻るが、映画は吉法師と呼ばれていた頃の若き日の信長の姿を丹念に描く。僕には丹念すぎて退屈に思えたほど。領民からも半ば馬鹿にされていたウツケ者の若殿様が、三河の人質竹千代を可愛がり、隣国美濃の国主斉藤道三の娘を嫁にとり、家督相続を巡って一悶着あり、父の葬儀で香を祭壇に投げつけ、忠臣平手政秀は信長の狼藉を腹切って諌め、道三との対面で老獪な道三を感心させ、今川勢の進撃を受けながら竹千代を三河に帰したところで終わり。僕はてっきり桶狭間で信長が今川義元を討ち果たし、尾張に織田信長ありと売り出した所で映画が終わるのだろうと予想していたのだが、その直前でなぜ終わるのか理解に苦しむ。

 織田家が大国間の微妙な政治バランスの上で、辛くもその命運を保っている様子と、そうした領国の危機もどこ吹く風、野放図に振る舞う信長の姿が、映画の前半でたっぷりと描かれる。それだけに、父が信長に戦国の乱世で生き抜く力強さを見出し、織田家の未来を期待を託して世を去ったり、隣国の大名から嫁を迎えたりするエピソードが、大きな重圧となって主人公の上に覆い被さってくる。こうした重圧を一気にひっくり返すのが、ご存知桶狭間の一戦であろう。それを割愛したこのエンディングには合点が行かない。ひょっとしたら、この映画も戦後の検閲で合戦部分を大幅にカットしてしまったんだろうか。

 監督はマキノ正博。映画が作られたのは日米開戦の前年だが、やたらと「尊王」という言葉が出てくるのは時代ゆえか。戦国武将は「国盗り」のためではなく、「天子様」のために戦っているのである。へんなの〜。


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