ファーゴ

1996/12/26 シネマライズ渋谷
コーエン兄弟の新作には全力投球のにおいがしない。
テクニックは抜群だけど胸に迫るものはない。by K. Hattori



 観終わった後に残る不快感。「お前は何様だ!」というのが僕の感想。話は面白い、絵作りもいい、芝居もうまい。でも僕はこの映画が好きになれない。要するに、この映画は何が言いたいのか、僕にはわからないのだ。ひょっとしたら、観客をなめてないか?

 映画の冒頭「1987年に実際に起きた事件を映画化したものだが、生存者に対する配慮から人名や地名は変えてある」という字幕が入る。こんなもん、本当かどうかなんて知れたもんじゃないけど、それはまぁいい。『シリアル・ママ』だって実話だというアメリカ映画界のことですから、こうした断りをいちいち真に受ける必要はない。問題は映画の中で何を描くかです。モチーフになるエピソードから何を拾い出し、観客に何を伝えるかです。僕はその点において、この映画が気に食わない。

 自動車販売店に勤める男が人に言えないような借金をこさえ、その穴埋めのために妻の偽装誘拐を思い付く。資産家である妻の父親に身代金を払わせ、それを自分が着服しようという筋書きだ。この馬鹿みたいにシンプルな計画は、幾つかの不測の事態が重なったことから、思いもよらぬ惨劇を招いてしまう。

 ここで描かれているのは、人間の滑稽さである。それぞれが必死に、事態を収集させよう、計画を立て直そう、どこかで妥協できる着地点を探そうと焦りながら、その行動がますます事態を混乱させ、こじれさせて行ってしまう皮肉。「人間はおかしくて、哀しい」という広告コピーそのまま。動き出した物語は制御不能な雪崩のように登場人物たちを飲み込み、思いもよらぬ悲劇的結末を迎える。その描き方たるや、ギリシャ悲劇のような壮大さなのである。

 映画は偽装誘拐の発端から結末までを描くと同時に、この事件を追いかける女警察官の姿を丹念に描くことで、物語に厚味を出すことに成功している。なかなかよくできたシナリオだ。妻の誘拐を依頼するウィリアム・H・メイシーはよく見る顔だと思ったら、『陽のあたる教室』の堅物教師を演じた役者。妊娠8ヵ月の女警官を演じたのは、最近だと『真実の行方』で精神分析医を演じていたフランシス・マクドーマンド。万年脇役の彼らが、登場人物たちにリアリティを生み出している。もちろん、スティーブ・ブシェミも素晴らしいし、ピーター・ストーメア演じる無口な男の怖さは格別です。

 この映画が不快なのは、人間の哀しいまでの滑稽さを描きながら、それに対する共感がないからです。人間の愚かさを描きながら、その同じ愚かさを制作者たちは共有するつもりがないのです。偽装誘拐の脱線と転落も、そこに至る止むに止まれぬ切迫感を嘲笑い、突き放しているような感じがする。彼らの行動はしばしば揚げ足を取られ、茶化され、水を差される。これでは悲劇は成立しないよ。最後のパトカーの中の会話なんて、僕にはまったく共感できなくて、ちょっと白けてしまった。あそこまでコケにしておいて、急にシンミリできるかっての。


ホームページ
ホームページへ